ダンサーの美しい身体に見惚れる、オリヴィア・ビーの写真展は必見!
2階にあがると、部屋の設えが劇場っぽいことに気づく。暗い舞台のなかでライトにあたるダンサー=写真たち。サイズもカラーも違う。視線を奥へと誘う強い色があったりもする。鮮やかなものも仄かなものも。濃やかなもの、荒いものも。その違いや移ろいは、私たちの「見る」という経験のうちにある時間性そのものなのかもしれない。知覚はしているけれども自覚していない、そんな光の運動をカメラは捉えている、というのか。ビーはまた、レンズのプリズム作用から生じたスペクトルや、踊りの軌道を可視化した流動性などを写真に映したりもしている──エティエンヌ・ジュール・マレーの実験的な写真を思い起こす人もいるだろう。 この2階には日本でのフェスティバルにはプログラムされていないが、ロンドンや香港で公演をしたアーティストの舞台写真も置かれている。有名なところではアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルの『Fase』(ロンドン、2022年)や、ジゼル・ヴィエンヌの『Crowd』(香港、2023年)など。新進気鋭の振付家、カテリーナ・アンドレウの『BSTRD』(ロンドン、2022年)の肖像写真にも目を留めてもらいたい。 3階に行く階段は真っ白だ。部屋も白い。あがるや左に「大きな写真」、と思いきやそれが向かいに置かれた巨大写真の写し=鏡であることを知る。自分がそこに映っているからだ。その鏡は人を内省させる。この場にいる自分というものを見つめさせる。自身がここにおいてどういう存在なのかと。それはきっとこの部屋に写しとられた幾人ものダンサーたちが経た真理なのだろう。この部屋は(2階の)劇場舞台の裏側を伝えようとしている。稽古の時間、創作の時間、本番の舞台袖の時間etc.。ダンサーたちは、そこで自分の身体を調整したり、精神を研ぎ澄ませたり、気持ちを落ち着かせたり。 3階の部屋の写真は多様で、ダンスマットのうえに来てしまった天道虫を救おうとする──それが自然で──美しい手の写真まである。この空間に浸っていると、空へつながる天井窓にも気づき、心が次第に安らいでくる。床にカバンをおいて座っている人もいる。ラフな気持ちになると、あの最初に目にした鏡と向かいあう一枚ものの写真に近づきたくなってくる。それは外の木々に通じるイメージで、緑を背景におよそ等身大の踊り手が写しとられている。階段の脇のひとりしか通れない通路で、その被写体に我が身を重ねあわせよう。ダンサーを撮り、写真を部屋に設える人の気持ちがなんとなくわかる。
文:富田大介(明治学院大学文学部芸術学科准教授)