大阪ミナミ「外国ルーツの少女」の成長【後編】 父倒れ一人になったタイ出身・女子高生の旅立ち
島之内を「ほわほわしてて、居心地がいい」と評していたメイだ。名残は尽きないようだった。 私は1つの区切りだと思い、メイがうちへ夕食に来た日、少し改まったインタビューをさせてもらった。居間の座卓に向き合い、レコーダーを回す。 メイは少し照れつつ、一つひとつ言葉を選びながら、父親が倒れてからの2年間をふり返ってくれた。 「私がしんどい時に周りにいろんな大人がおってくれて、それぞれの場面で助けてくれた。勉強のことはタナカ先生、生活のことはウカイ先生、役所とかややこしいことはキム先生、いろんな愚痴はタローの家で聞いてもらった。
そうやって、いろんな大人がおってくれたから、ひとりで悩まずに済んだ。それがいいな、って。ひとりの人だけに頼りきるんじゃなくて、いっぱいいてくれることで、一人ひとりに少しずつ、あんまり遠慮せずに相談ができるやん。 相談できるから、ひとりで抱え込まんで済む。そのおかげで心の余裕ができたと思う」 「教室はメイにとってどういう場所?」というありきたりな質問を、私は投げかけた。メイには高校1年の時にも同じ質問をしたことがあった。当時の答えは「自分ががんばりたいと思った時、応援してくれる人がいて、勇気づけられる場所」だった。
それから2年。少し考えてメイは言った。 「やっぱり居場所かな。心の居場所」 飾らない、真摯な言葉だった。 「島之内からは離れるけど、これからもみんなにいろいろ相談したいし、教室にはつながっていきたいと思ってるねん。 私のこれからの姿も見てほしいし、看護師になったら、みんなの役に立てるかもしれへんし」 そして、この間の成長を感じさせる一言を口にした。 「私のような子がおったら、自分の経験がちょっとは生かせるんちゃうかなと思ってる。しんどい思いしてる子って意外にたくさんいるやろ。見えてないだけで。
やっぱりJKはJKらしくおってほしいよね。能天気で、ふわふわしたJKライフを送れるよう、楽しいことを知ってほしい。楽しいことがあったらがんばれるから。 私の場合は、周りにいろんな大人がおってくれて、友達にも恵まれたから、いろいろあったけど、そこまで落ち込まずにJKライフもエンジョイできた。いつかは、そうやってしんどい思いをしてる子に関わっていけたらなって。それが、私の今の目標かな」 ■旅立ち 4月1日、メイは住み慣れた島之内を離れ、看護専門学校の寮に入った。