【追悼・渡辺恒雄さん】Jリーグ川淵三郎氏との舌戦も、平成プロ野球の危機救った名物オーナー
あえて球界再編の矢面に
プロ野球にとって球界縮小の危機は、04年の再編騒動の時期だった。パ・リーグの近鉄がオリックスとの合併によって消滅し、当時の西武オーナーだった堤義明氏から「パでもう1つの合併が進行中」との発言が飛び出し、「1リーグ10球団」へと流れが傾く。 渡辺氏が、選手会が直接会談を求めているとの報道陣からの問いに「分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が。オーナーと対等に話をするなんて協約上根拠は1つもないよ」などと発言し、その後に巨人の不正スカウト活動の発覚で引責辞任したのは、まさにこのときだ。世間の反発を受け、潮目が2リーグ12球団維持へと一気に変わった。 しかし、当時のプロ野球は、セの一部も巨人戦の頼みで、パの球団も親会社の赤字補填で帳尻を合わせていた。プロ野球経営の未来は決して明るくなく、当時の市場規模なら「1リーグ8球団でも妥当」などと大胆な構想を訴える球界関係者もいた。 そんな日本球界の未来を決める大事な局面で、メディアを避けることなく、オーナー側の矢面に立ち、取材に応じていた渡辺氏の姿勢について、サンケイスポーツの12月20日付朝刊の「追悼記事」の中で、かつて巨人担当を務めていた加藤俊一郎編集局長は「取材記者出身を誇りとしていた」からだと評している。
渡辺氏の誤算
楽天の新規参入によって2リーグ12球団が維持され、ファンのありがたみを知ったプロ野球は地域密着へ本格的に舵を切る。北海道から九州まで地元ファンに根付くチームとして、呼称の企業名の前に地域名が入るのが当たり前の時代になった。 渡辺氏に誤算があったとすれば、主導したFA制の行く末ではなかったか。移籍の自由を手にした選手たちの視線は「球界の盟主」と呼ばれた巨人ブランドよりも、海の向こうへ向けられた。 「令和のプロ野球」では、FA制度導入当初にみられたように、プロ入りを目指す子どもたちのあこがれも巨人一辺倒ではなくなった。
田中充