「運動嫌いの子供」が増えるだけ…オリンピック選手を"体育教師"として学校に送り込む文科省の大失策
■教育現場には「愛嬌」も必要 したがって従来のプロセスを免除する「特別免許状」制度の活用は、きわめて的外れだと言わざるを得ない。教員免許取得に向けての勉強は、教育とは何かを学ぶためにある。それを端折ってはいけない。むしろ別立てで特別研修を設ける必要さえあると、私は考えている。専門競技に打ち込むなかで学業を疎かにしがちだった彼、彼女たちは、基礎的なことを学び直さなければならないからだ。 さらにもうひとつ――これはたぶんに私の経験則だが――自尊心と折り合いをつける術を身につける必要がある。 自らを特別な存在として自負し続けなければ、トップアスリートにはなれないものである。競争的環境を生き抜くためにコツコツと築き上げたこの自尊心は、トップに登り詰めるためには必要不可欠だ。エゴイスティックでなければ、スポーツで頂点を極めることは難しい。 しかしながらこの尊大な自意識は、教育現場ではときに仇となる。いまだ成長途上の未熟な子供の傍らに立つ大人には、「愛嬌」が必要だからだ。それには、成功体験よりも失敗談を積極的に開陳するよう努めなければならない。つまり、自分もまた一般的な人物に過ぎないことを自覚し、それを子供たちに伝えなければならないのだ。 それができて初めて、子供たちは卓越した人物の歩んだ人生が自分のそれとさほど隔たってはいないのだと感じる。この親近感がなければ、子供たちは元トップアスリートを別世界の住人としてただ見上げるだけにとどまり、触発されることはほとんどない。 ■「学び直し」をした元アスリートはきっと役に立つ 「愛嬌」を身につける。これは言葉でいうほど簡単ではない。自らのプライドと折り合いをつけるために、社会という文脈に我が身を置いて客観視しなければならないからだ。だから、それらを学ぶための特別研修を新たに設ける。セカンドキャリアでは、これまでの常識がそのままでは通用しない。狭い世界で生きてきた現実を直視し、見識を高めるための努力を、元トップアスリートはしなければならない。 自尊心に折り合いをつける術を身につけ、然るべき学び直しを経た元トップアスリートが教員になれば、教育現場は豊かになるだろう。類まれなる経験を備えた人物が子供の傍に立つことの豊穣性が、ようやく担保できるはずだ。 文科省が意図するところのトップアスリートが有する専門知識や経験の教育的効果、また教員不足の解消や教育現場の多様性は、こうしてもたらされると私は見立てている。 ---------- 平尾 剛(ひらお・つよし) 神戸親和大教授 1975年、大阪府生まれ。専門はスポーツ教育学、身体論。元ラグビー日本代表。現在は、京都新聞、みんなのミシマガジンにてコラムを連載し、WOWOWで欧州6カ国対抗(シックス・ネーションズ)の解説者を務める。著書・監修に『合気道とラグビーを貫くもの』(朝日新書)、『ぼくらの身体修行論』(朝日文庫)、『近くて遠いこの身体』(ミシマ社)、『たのしいうんどう』(朝日新聞出版)、『脱・筋トレ思考』(ミシマ社)がある。 ----------
神戸親和大教授 平尾 剛