イタリア代表、背番号10の系譜(5)最悪の結末…。希薄だった存在感、かつての”天才”も最後は
イタリア代表は2018年ロシアワールドカップの出場を逃した。2010年と2014年は2大会連続でグループリーグ敗退に終わる屈辱を味わい、2006年ドイツ大会での優勝を境に栄光から遠ざかっている。その中で、チームの中心として期待された選手たちも苦しんできた。今回はイタリア代表が出場したブラジル大会までのワールドカップで背番号10を任された“クラッキ”(名手)たちの苦闘の系譜を振り返る。※所属クラブは大会前時点、年齢は初戦時点のもの
ブラジルワールドカップ
背番号10:アントニオ・カッサーノ(パルマ) 生年月日:1982年7月12日(当時31歳) 個人成績:2試合出場/0得点0アシスト 戦績:グループリーグ敗退 アントニオ・カッサーノのイタリア代表でのキャリアは2003年に始まっているが、マルチェロ・リッピ監督と折り合いが悪く、2006年のドイツ大会も2010年の南アフリカ大会もワールドカップのメンバーには入ることができなかった。 だが、南アフリカワールドカップ後にチェーザレ・プランデッリ監督が就任するとEURO2012の予選で背番号10を与えられ、10試合出場6得点という獅子奮迅の活躍で出場権獲得に大きく貢献。本大会でも6試合に出場して1得点1アシストをマークし、イタリア代表も準優勝という結果を残した。 EURO2012の大会後に行われた記者会見で同性愛者への差別的発言があったとしてUEFAから罰金処分を受け、それからめっきり代表招集がなくなる。プランデッリ監督に呼び戻されたのは、ブラジルワールドカップ直前の2014年5月だった。 当然、背番号10を与えられてもチーム内で重要な存在ではなかった。自身初のワールドカップ本大会では一度も先発出場がなく、唯一の勝利だったグループリーグ初戦のイングランド代表戦は出番なし。途中出場した第2戦や第3戦もさしたるインパクトを残せず、イタリア代表は2大会連続で決勝トーナメント進出を逃す最悪の結末を迎える。 所属するパルマでは2013/14シーズンにリーグ戦34試合に出場して12得点8アシストと絶好調で、6位フィニッシュとヨーロッパリーグ出場権獲得に貢献していた。その好調が認められてのイタリア代表復帰だったが、1つの時代が終わり、実績に乏しい若手中心のメンバー構成のチーム内でも存在感は希薄。カッサーノの代表キャリアはブラジルワールドカップ敗退とともに幕を閉じた。
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