「救助者を社会復帰させる」 臨港署・中川博至消防司令補(53) 都民の消防官 横顔⑤
第77回都民の消防官表彰式が27日に行われるのを前に、受章が決まった5氏の経歴などを紹介する。 ◇ 河川や海岸など、水辺での事故の際に駆けつける水難救助隊。水質や天候などが変化する困難な状況でも、救助者を生きて救い「社会復帰させる」ことを目指し、日ごろから過酷な訓練にも励んできた。 学生時代はライフセービングの全日本大会で優勝するほどの実力者。東京消防庁に水のスペシャリストである水難救助隊があると聞き、進路を即決した。 しかし入庁後に配属されたのは水難救助隊がない四谷署。当初は水難に携われないことに「必要ないのかな」と下を向くこともあったが、救助隊の先輩と出会ったことで心に火がつきトレーニングに励んだ。24歳で東京消防庁の訓練を終了し、潜水士の資格を取得。平成8年に臨港署に配属され念願の水難救助隊員となった。 水中の環境には自信があったが、厳しい訓練中に溺れかけたこともあった。指導者となってからは「過信はよくない」と言い続けている。 平成11年、中央区晴海で乗用車が海中に転落。反転した車両の半分が水底の汚泥に沈む悪条件だったが、汚泥で埋まったドアをこじ開け、車両の発見からわずか6分で女性を救出した。 しかし、女性は助からなかった。「10秒、20秒縮められたらどうだったんだろう」。女性が当時、妻と同じ妊婦だったことも重なり今でも忘れられない。これが「救助者の社会復帰を目指すきっかけになった」。 水難救助隊の隊長も務め、生涯出動件数は700件を超える。「命を救えることは1千回に1回かもしれないが、そのチャンスを生かしたい」と訓練の大切さを語る。 定年で隊長を退いた後も、舟艇技術の高さから、消防艇や大型救助艇の船長を歴任。現在は、東京消防庁で最も大きい化学消防艇「みやこどり」の船長を務める。 受章を受けて思うのは周りへの感謝。「これからも若い職員に教わったものを還元していきたい」と高い技術と精神を継承していくつもりだ。(梶原龍) なかがわ・ひろし 東京都練馬区出身。平成6年に東京消防庁入庁。四谷署や高輪署などを経て平成22年から2度目の臨港署。妻と2人の娘がいる。好きな言葉は「一以貫之」。「隊員にも物事の白黒をつけたがるとよく言われる」と笑う。