【追悼企画連載再録】オーラを放っていた『ON』/大島康徳の負くっか魂!!
中日の悪しき伝統に食ってかかったことも
71年ジュニアオールスターでの大島さん
亡くなった大島康徳さんを偲び、連載の幾つかを抜粋し、紹介しています。今回は少し話が飛びますが、長い二軍生活を抜け出し、一軍に定着した1971年前後の話です。 ◎ 他球団では、やはりON、巨人の王貞治さん、ミスターこと長嶋茂雄さんのオーラがすごかった! 2人は、キラキラ輝いてました! 巨人ファンではなかったですが、若手時代は、V9時代真っただ中。田舎でもテレビに映っているのは、巨人戦だけでしたからね。1年目(69年)で覚えているのは、ナゴヤ球場(当時は中日球場)での巨人戦です。一、二軍の親子ゲームのときは、二軍の僕らが一軍の練習の手伝いに行って、球拾いやバッティングピッチャーをするんですよ。江藤(江藤慎一)さんにバッティングピッチャーをするときは怖かったなあ。ストライク入らなかったらどうしようって! そのあとも含めてですけど、野球をやっていて、あんなに緊張したことはなかった気がします。 ドラゴンズの練習の途中、ビジターの巨人の選手がグラウンドに入ってくるんですが、大勢が一気に出てきたあと、少し間を空けて最後に出てくるのは、いつも3人。順番も決まっていて、王さん、ミスター、そしてカネさん(400勝左腕の金田正一さん)です。 お客さんも入ってきている時間帯でしたが、球場の沸き方がまたすごいんですよ。名古屋だから中日ファンがほとんどのはずなのに、王さんが出てきて、まず「おおっ!」と沸いて(ダジャレじゃないですよ)、ミスターのときは、その倍くらい、カネさんのときは2人よりちょっと小さいけど、やっぱりすごかった。 3人が近くに来たとき、僕らドラゴンズの若手選手はガチガチに緊張しながらも、もちろん「こんにちは!」「ちわ!」「ちわす!」とあいさつしますが、みんな返事をしてくれました。特にミスターは、あの甲高い声で「おはよう!」って。いつも爽やか! 午後でも夕方でも「おはよう」だった気がします。実は僕、ミスターの真似が得意なんですよ。機会があればぜひ皆さんにも……。大スターがあいさつを返してくれるのが、うれしかった。いつも大感動です! それに比べて、わがドラゴンズは……。当時、悪しき伝統があって、先輩は後輩が声を掛けても、あいさつを返してくれないんですよ! してくれる人もいますが、ほぼ全員がジロリとにらむ程度。僕は嫌だったから、反面教師にして、ミスターと同じ、元気に「おはよう!」派になりました。 あんまり無視するんで・・・
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週刊ベースボール