スバルの「青いWRX S4」がデモラン披露!? スバルとトヨタの夢のコラボで何が起きた?
スーパー耐久シリーズ2024の最終戦「S隊ファイナル富士」では、来場者が楽しめる様々なイベントが開催。 【画像】「超カッコイイ!」これがスバルの最新「爆速マシン」です!(30枚) その1つが「STI NBRチャレンジエキシビジョンラン」でした。これは2024年のニュルブルクリンク24時間耐久レースのSP4Tクラスで制した「スバルWRX S4」を日本のモータースポーツファンの前で走行を披露すると言うコンテンツ。 実はSTIのニュル参戦マシンが日本で公の場で走行するシーンはレアで、「その雄姿を是非とも生で見ていただきたい」と言うスバル/STIの想いが形になったそうです。
ちなみにスーパー耐久をオーガナイズするSTMO(スーパー耐久未来機構)の総支配人(理事長)である豊田章男氏は、STMO発足時の会見では、「S耐からニュル24時間への道を繋げたい」と語っていましたが、このデモランはその想いも込められています。 当初はST-Qクラスでスバル・ハイパフォーマンスXフューチャーコンセプトのドライバー、井口拓人選手がドライブすると発表されていましたが、実際に走行が始まり途中でピットの映像が流れると、そこには井口選手と山内英輝選手姿が。 「あれは一体誰が乗っているの?」とザワザワしながら、マシンはデモランを終えて、ホームストレートにストップ。 ドライバーズシートから降りてきたのは、何とスバルのレーシングスーツを着たモリゾウ選手でした。 実はこのイベントを盛り上げるために、超シークレットでプロジェクトが進められ、スバルのピットへの移動もいつものセンチュリーではなく別のクルマを用意するほど入念に行なわれました。 その甲斐あって会場のお客だけでなくメディアや関係者もビックリ。まさに「ドッキリ大成功!!!」だったわけですが、人を喜ばすことが大好きなモリゾウ選手らしい演出だと思いました。 走行後にモリゾウ選手は「以前からモリゾウをスバルで使ってくださいとお願いしていましたが、今回はドライバーとしてのオーディションの気持ちで挑みました(笑)。STIさんが挑戦しながらつくり上げてきた『ニュルの味』を楽しみながら走らせていただきました。STIのニュルの挑戦は、ある日本メーカーの代表選手として参戦していると思います。我々TOYOTA GAZOO Racingも同様ですが、この挑戦が『モータースポ―ツを起点としたもっといいクルマづくり』に繋がり、結果としていいクルマが生まれていると思っています。今日ここに来ていただいている皆さんの後押しがあれば、更にドライバー・エンジニア・メカニックも頑張っていいクルマになると思いますので、これからも更なる応援をよろしくお願いします」と語ってくれました。 ちなみにモリゾウ選手の着ているスバルのレーシングスーツは、実はこれが2着目。1着目は2022年のスーパー耐久開幕戦(鈴鹿)の時に、スバルの中村知美社長(当時)がプレゼントしましたが、「とても嬉しかったですが、あまりにサイズが大きくてブカブカだった(笑)」と言うことで、新たに採寸されて製作されたモノでした。 ここまでは他のメディアにも出ている情報ですが、筆者はこのデモランはもう一つの意味を持っていると思っています。 それは2008年からSTIのニュル24時間の活動で陣頭指揮を取ってきた辰己英治氏への感謝の気持ちです。 辰己氏は「トヨタの豊田章男さんと同じように、私も“普通のおじさん”として外からSTIのレース活動を眺めてみたいという思いがあり、2024年のニュル24時間をラストイヤーにすることにしました」と発表。その公言通り、9月いっぱいでSTIを退職しました。 ちなみに豊田氏がマスタードライバーの成瀬弘氏と元祖GAZOO Racingを立ち上げニュル24時間に挑戦したのは2007年、まさに辰己氏とは、ニュルでの“同期”の間柄と言うわけです。そんな豊田氏は辰己氏とのニュルの思い出を筆者に語ってくれました。 「私が知り合ったのは辰己さんがSTI転籍されてからですが、僕の中で『STI=ラリー』から『STI=ニュル』のイメージに変わったのは、間違いなく辰己さんの功績です。 2009年に社長に就任後に初めてのニュル24時間に参戦した時、私にインタビューが取れなかった新聞・経済の記者が辰己さんの所に行ったそうですが、その時に『クルマの社長が、クルマに乗って何が悪い!!』と言ってくれたと聞きました。多くの人が穿った目で見る中でのあの言葉、本当に嬉しかった。 当時はニュルの活動はトヨタから認めてもらえず、いつ終わってもおかしくない状況でしたが、そんなニュル仲間のエールに『我々もニュルの活動を絶対に続けていかなければ』と決心したのを、今でも覚えています。 今後ニュルのピットで辰己さんともう会えないと思うと、何だか寂しい気持ちでいっぱいですが、ニュルをリードしてきた“辰己英治”と言う男がこの日本に存在した事を、もっと多くの人に知ってほしいです。今後イベントなどであの時の“思い出話”ができたらいいなと……と思っています」