日本を救った長谷部誠のキャプテンシー
開幕直前に岡田武史監督から突然ゲームキャプテンを任された、2010年の南アフリカ大会はややぎこちなさが目立った。当時の日本代表は不振が続き、悪い流れを断ち切る改革のひとつとして、ゲームキャプテンがDF中澤佑二(横浜F・マリノス)からスイッチされた。 しかし、岡田監督からバトンを受け取ったアルベルト・ザッケローニ監督のもとで、地位が人を作るとばかりに、チームキャプテンに指名された長谷部は特異なオーラを身にまとい始める。 メンバー選考に関して相談を受けたこともあるザッケローニ監督とは、前回ブラジル大会までの4年間で厚い信頼関係を築き上げた。続くアギーレジャパン、そしてハリルジャパンでも引き続きキャプテンを務めた長谷部は、自分のなかで生じた意識の変化をこんな言葉で表したことがある。 「ブラジル大会のときはキャプテンを任されて、それほど時間がたっていないなかで、本当に手探り状態でした。今回のロシア大会に対しては、自分自身に、できるだけ責任というか、プレッシャーをかけてきた。プレッシャーが年々大きくなってきたという意味では、喜びは前回よりも大きいですね」 長谷部にキャプテンを託した代表監督の国籍はイタリア、メキシコ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、そして日本と言語も文化も風習も伝統もすべてが異なる。それらを超越する形で指揮官たちが魅せられてきた理由は、代表内にいつしか定着した「造語」に凝縮されている。 誠実な人柄で誰からも尊敬の念を抱かれてきた長谷部だが、超がつくほどの真面目ぶりを目の当たりにすると、茶化したくなる思いにも駆られるのだろう。細かい点にまでこだわる立ち居振る舞いをした代表選手が、キャプテンをもじって『長谷部か!』と突っ込みを入れられるようになって久しい。 ハリルジャパンではピッチの外でも奔走してきた。歯に衣着せぬ直言を厭わないヴァイッド・ハリルホジッチ監督と、厳しい要求を突きつけられることが少なくなかった国内組との間に立ち、チーム内の風通しを良好なものにする作業にも腐心したと明かしたこともある。 「監督は物事をストレートに話すので、選手それぞれの感じ方によっては、すごく勘違いされることもあると思うんです。だからこそ、特に若い選手たちに対しては、たとえば『考え方が違う人とつき合っていくことによって、自分自身が変われることもあるよ』という話はしています」 選手たちの声に聞く耳をもたなかった感のある、厳格で頑固な性格だったハリルホジッチ監督も、長谷部に関しては「代役の効かない存在」と公言してはばからなかった。