会社に壊されない生き方(2)会社員時代より幸せ「ダウンシフト」という選択
THE PAGE
「ダウンシフト(減速生活)」という言葉がある。業績や生活の向上を追い求めて働きすぎたり、金銭やモノを過度に追い求めるのをやめて、収入を減らしてもゆとりある人生を送ろう、という生き方を指す。このダウンシフトの実践者で、『減速して自由に生きる ダウンシフターズ』(筑摩書房)という著書もある高坂勝さん(45)は、大学卒業後に就職した大手小売会社を30歳で退職した経歴を持つ。理由は「心労」だった。
会社員時代より収入が少なくても幸せ
東京・JR池袋駅から徒歩十数分。にぎわう街から少し離れたところに、高坂さんが経営するオーガニックバー「たまにはTSUKIでも眺めましょ(以下、たまTSUKI)」がある。 営業は夜のみ。毎週火曜から金曜の週4日開店する。店の収入は会社員時代よりも少ないが、必要以上に稼ぐつもりはない。週の半分はこのバーの運営にたずさわり、もう半分は千葉県匝瑳(そうさ)市内で農業を営むという現在の生活を、高坂さんは「楽しいし、幸せです」と話す。 そんな高坂さんが、会社員時代の末期には「これ以上会社に勤めていたら、自殺しかねない」というところまで追い詰められていた。 今から22年前の1994年春、新卒で入社した大手小売会社では、婦人雑貨売場などを担当。同期入社の中でも上位クラスの販売成績をあげ、中間管理職にも昇進するなど数年は順調だったが、時代はバブル経済崩壊後で市場は“右肩下がり”。売上高の目標達成が困難な状況に陥っていく。
なぜ、会社の売り上げのために死ななければいけないのか
業績が思わしくなければ、『だからお前はだめなんだ』などと上司から厳しく叱責された。「評価は下がりますし、自分でも『なんて自分はダメなやつなんだ』とレッテルを貼っていました」。上司からのプレッシャーに自責の念も加わって、高坂さんは追い詰められていく。 売り上げを伸ばそうにも、「顧客によろこびを提供する」という、本質とは掛け離れた指示を再三受け、思うに任せない。優先度の低い書類やマニュアル作成を指示され、販売に必要な仕事が後回しになった。「現場に元気がない」と言い出した店長が売り場に来るタイミングに合わせ、「いらっしゃいませ」と元気に声を上げねばならない時もあった。誰のために働いているのか、わからなくなっていった。 心労はつのり、ついに、駅のホームで「電車に飛び込めば楽になれる」と何度となく思うまでに。限界だった。退職したのは2000年秋。その際、「会社を辞めたらもう結婚できないだろう」と覚悟を決めた。 「今考えるとバカらしいですね。なぜ、会社の売り上げのために死ななければいけないのか」と笑う高坂さん。退職から16年弱経った現在は結婚し、子供もいる。