「骨折の起こる仕組み」が分かることで得られること【獣医師記者コラム・競馬は科学だ】
◇獣医師記者・若原隆宏の「競馬は科学だ」 各種病気の起こる仕組みを探究することは、獣医学にしても医学にしても重要な研究課題の一つだ。分かりやすいのは感染症。野口英世は黄熱病の病原体を探索した。当時はまだウイルスの存在が知られておらず、正しい結果を導くのには時代が早すぎた。しかし感染症であれば、原因のウイルスや細菌を特定、次にそれをどう叩くかと、予防や治療への道筋が一般にもイメージしやすい。 では骨折など、いわゆる「けが」として理解される運動器疾患ではどうだろうか? 最近まで気付かなかったのだが「けがの起きる仕組み」の研究が、どのように役立つのかという視点は、感染症などと違って世の中に深く分かってもらえているわけでないらしい。 例えば、骨が丈夫な人が転び、慌てて手をついて骨を折る。主たる”予防法”は、慎重に歩け、場合によってはつえを用いよ。要するに「転ぶな」で、言ってしまえば身もふたもない。 馬の獣医学ではどうか。蹄に近い部分の骨折では、着地時のイレギュラーな衝撃が原因となることもある。例えば適切な馬場管理で事故は減らせるし、JRAは実際減らしてきたが、どうしたってゼロにはできない。原理主義的な動物愛護の立場からは「走らせるな」と、やはり身もふたもない批判まで飛んでくることもある。 実は、およそ「けが」と理解される疾患でも、発生の仕組みが分かれば予防につながることもある。屈腱炎では病態の初期に腱線維が熱変性していく段階があることが明らかになった。調教や競走後の早い段階で、脚を水冷することの重要さが、この観点から理解されるようになった。 骨折でも、これまで考えられていなかった発症機序が研究で明らかになることもある。例えば今月中旬にカナダであった馬の福祉に関する学会では、つなぎの骨折に関して、球節背面にある種子骨の振動が、球節関節構成骨に刺激を与え続けて折れやすくなっているという可能性を指摘する発表があったという。この説にもっと証拠が集まれば、骨折リスクの高い個体を疾走前に摘発して、骨折症例を減らすことができるかもしれない。 病態の探索は、眼前の患畜を直接救う外科などよりも地味に映る分野かもしれないが、外科の領分に送られる馬を減らすことにもつながる尊い基礎研究だ。
中日スポーツ