198センチのGK・シュミット・ダニエルは“ポスト川島”に成りえるのか?
アメリカ人の父親と日本人の母親の間にイリノイ州で生まれたシュミットは、2歳のときに家族で宮城県仙台市へ移り住んだ。小学校2年生で地元の少年団でサッカーを始め、東北学院中学まではボランチでプレー。いま現在に至る足元の技術を磨いた。 もっとも、中学時代は体育の授業で素人にボールを奪われたショックでサッカー部を退部。長身を見込まれてバレーボール部に籍を置いた時期もあった。翻意して復帰するとゴールキーパーの層が薄いチーム事情もあって、ボランチと兼任でキーパー練習もスタートさせたことが転機となった。 東北学院高校への進学を機に正式に転向し、卒業時には潜在能力を高く評価したベガルタからオファーを受けた。しかし、キーパーとしての経験値があまりにも低かったこともあって辞退。関東大学リーグの名門・中央大学で、あらためて心技体を磨く道を選んだ。 それでも、稀有なサイズをもつシュミットは否が応でも注目され、1年次から3年連続で川崎フロンターレにJFA・Jリーグ特別指定選手として登録された。同制度の認定要件のひとつに「日本国籍を有する」とある関係から、日本国籍を選択した上でいつしかこんな思いを抱くようになった。 「26歳になる年に日本代表に入っていたい」 なぜ26歳と設定したのか。シュミット本人も「よく覚えていない」と苦笑するが、それでも大学卒業時に再びオファーを受けたベガルタへ満を持して加入。ロアッソ熊本と松本山雅FCへ期限付き移籍し、J2の舞台で実戦経験を積みながら能力をゆっくりと開花させていった。 迎えた今年2月3日。ベガルタの守護神として臨む2度目の開幕を前にして、シュミットは目標にすえていた26歳になった。右太ももの肉離れで約2ヵ月間の戦線離脱を強いられたものの、復帰した8月以降のパフォーマンスが森保監督の眼鏡にもかなった。ただ、シュミット本人は浮かれていない。 「何とか有言実行できたけど、思い描いた形とは思っていない。ちょっと調子がよくて、本当にタイミングがよかったけど、選ばれていない他のキーパーたちに比べて試合経験もまだまだ乏しいので」 今シーズンのJ1では、7チームが外国人守護神を起用。そのなかで韓国人選手が5人を占める。一方で11人の日本人キーパーのうち8人が30歳を超えていて、ロシア大会代表に選出された23歳の中村航輔(柏レイソル)は、脳震とうを2度起こして戦列を離れている。 経験が重要視されるポジションだが、それでも世代交代は必要不可欠だ。W杯で3大会連続で日本のゴールマウスを守った川島永嗣(RCストラスブール)は35歳。東京五輪監督と兼任の森保監督は、アンダー世代で挑んで準優勝した先のアジア競技大会では2人の大学生を招集していた。だからこそ、J1クラブの日本人守護神で中村に次いで若いシュミットに白羽の矢が立てられた。