巨人OBが40歳落合博満に苦言「あるまじき行為なんじゃ」…あの“伝説的”完全試合のウラ側、槙原寛己が痛恨のミス「じつは落合さんのおかげです」
長嶋監督「落合の後押しがあったから…」
「5、6回あたりから“これ、行っちゃうな”というのはあったよ。意外に早かったわけ、これ行くなと思ったのは。だから、守っていて固くなるということはなかった。流れの中でわかるんだよ、これは行く、行かないというのが。あの試合に関しては1回もマウンドに行っていない。絶対、流れを断ち切ったらいかんと思っていたから。それだけは気を遣っていたんだ」(激闘と挑戦/落合博満・鈴木洋史/小学館) オレ流も絶賛したその投球内容は、打者27人に対して全102球、奪三振7、内野ゴロ11、内野フライ6(うち捕邪飛1、一邪飛2)、外野フライ3で史上15人目の完全試合を達成。前半は速球で押し、中盤以降はフォークやスライダーを低めに決めゴロの山を築いた。1978年の今井雄太郎(阪急)以来16年ぶりの偉業で、いまだにドーム球場唯一の完全試合でもある。 当日、落合もそのバットコントロールを高く評価する広島の前田智徳は、クリーンナップを組む江藤智とともに故障で欠場していた。若かりし日の眼光鋭い前田は、「ワシと江藤さんのいないカープから完全試合して嬉しいかって、槙原さんに言うといてください」なんて強烈なコメントを残している。 球団通算7000試合目のメモリアルゲームを、これ以上ない最高の形でものにした長嶋監督は、神宮での乱闘騒動以降の重い雰囲気を振り払うかのように、グラウンドに飛び出して背番号17に抱きつき祝福。試合後は、「確かに槙原も凄かった。それで目立たなくなってしまいましたが、(先制打を放った)落合の後押しがあったからこそ、槙原の快挙になったんですね」とここでも40歳の四番打者を立てることを忘れなかった。
巨人OBが落合に苦言「あるまじき行為なんじゃ」
しかし、一方で満身創痍のまま試合に出続ける背番号60に対しては、相変わらず批判的な声もあった。 400勝投手の金田正一は「週刊ポスト」の自身の連載「カネヤンの誌上総監督」において、「はっきりいって、マスコミから同情されるようでは選手生命はおしまいなんですよ」とオレ流に苦言を呈している。 「スポーツマスコミはこぞって『耐える4番』と、まともにバットが振れる状態ではないことを強調し、落合も打席で空振りをした直後に痛みをこらえるようにしゃがみ込む。こういうことはチームが好調だから許されとるが、プロフェッショナルとしてはあるまじき行為なんじゃ」(週刊ポスト1994年5月20日号) しかし、万全の状態ではなくとも、徐々に落合のバットは上向いていく。5月26日の阪神戦を雨で流すと、全試合出場中の落合は「最高の雨。恵みの雨。とにかくうれしい雨。いまは雨が一番だよ」と体を休め、一時は2割1分台にまで落ち込んだ打率もじわじわと2割7分台にまで回復。 5月31日の中日戦では延長10回に松井が、プロ初の第8号サヨナラアーチを東京ドームの右翼席上段に叩き込んだ。これには長嶋監督も「ウチはこういう野球、ドラマチックに行くんです。報道陣のみなさんも楽しんでますか」と上機嫌だ。巨人は13勝6敗の4月に続いて、5月も13勝10敗で乗り切り、26勝16敗の貯金10。2位中日に3・5ゲーム差をつけて首位を快走する。 そんな好調を維持する長嶋巨人において、ひとり取り残された男がいた。開幕直前に左アキレス腱の部分断裂を負い、ギプス姿のままジャイアンツ球場でリハビリを続けた背番号8。昨年までの四番打者、35歳の原辰徳である――。 <前編《最悪の大乱闘》編から続く>
(「ぶら野球」中溝康隆 = 文)
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