「東北三大地主」の子孫は秘湯の経営者、「日本の製紙王」の子孫は競馬評論家に……47都道府県「名家」の当主に会いに行ってみたら
東北三大地主の池田家
「ああ、池田さんとこね。ここらでは大地主として有名だ。昔から地元の人を良くしてもらったと専らの評判だよ」 【一覧】あなたの県は…?全国47都道府県の「名家」一覧 JR大曲駅を降りてタクシーに乗ると、運転手に名字を告げただけで、その邸宅に到着した。 秋田・大仙市に根付く池田家は、山形・酒田市の本間家、宮城・石巻市の齋藤家と並ぶ、「東北三大地主」のひとつである。大正時代には千代田区とほぼ同じ1200haの土地を持ち、小作人は1250人を数えた名家だ。 その16代当主の池田泰久氏(75歳)が穏やかに語る。 「池田家はもともと清和源氏の出自で、戦国時代までは摂津にいた侍でした。徳川の世になった直後に大坂の陣がありましたが、豊臣側についた池田家は戦いに負け、この地に辿り着いたのです」 その時の領主が常陸国から転封された佐竹家で、秋田藩の藩主を代々務めていた。現秋田県知事・敬久はその末裔である。 江戸時代の池田氏は地域の土地の年貢をとりまとめて納める役割を担い、帯刀も許されていた。
今は秘湯を経営する
「明治中期、12代当主の甚之助は秋田選出の最初の貴族院議員で、秋田銀行初代頭取も務めました。池田家の最盛期を築いたのは13代当主の文太郎です。 水道を敷設し、災害時の村民救済にも私財を投じました。教育を重視し、学校給食を支援した後も、病院や図書館を建てて地元に無料開放したようです」(泰久氏) だが、戦後、GHQによる農地改革で地主制が解体されると、池田家の土地の大部分を地元民に分配することになる。 「これからどうやって生計を立てていこうかと考えた結果、仙北市の乳頭温泉郷にあり、佐竹家の湯治場として知られた黒湯温泉に注目した。 昭和初期に買い取った名湯ですが、その経営に尽力することにしました。秘湯ブームもあって、経営は軌道に乗っています」 庭園の中には高さ4mの雪見灯籠や大正時代の洋館が建ち、'04年に国の名勝指定を受けた。 泰久氏に「今に至るまで家が続いた秘訣」を聞くと、地域の人々で実りや困難を分かち合った姿勢が大事だったのではと語る。自分の家だけが儲かることをしていたら、長くは続かないと強調するのだった。