「東北三大地主」の子孫は秘湯の経営者、「日本の製紙王」の子孫は競馬評論家に……47都道府県「名家」の当主に会いに行ってみたら
地方財閥の分類
各都道府県には、地元の人にしか知られていないが、その地域を陰に陽に支える名家が存在する。今なおその子孫が後を継ぐ名家は一体どんな発展を遂げ、どのような哲学を抱いているのか。 「名家の生き様」を東日本から見ていこう。 『47都道府県別日本の地方財閥』の著書で、全国の資産家を掲載した菊地浩之氏が語る。 「戦前の地方財閥、地方資産家はおよそ4つのパターンに大別できます。それは、江戸時代以来の(1)地主系(山形・本間家、島根・田部家など)と、(2)老舗系(千葉・濱口家や静岡・鈴木家など)、また、明治維新前後に勃興した(3)工業系(長野・片倉家や福岡・麻生家など)と、(4)商業・金融系(神奈川・原家や兵庫・岡崎家)です。 東北では(1)が多いのに対して関東では(2)が多いなど、地域によって異なる特徴が見られます」
私財を投じ堤防を築く
関東の老舗系財閥として知られているのが、千葉の醤油醸造業である。江戸時代から千葉は「醤油財閥の町」として知られ、その代表格が野田醤油(現・キッコーマン)の茂木家と、ヤマサ醤油の濱口家である。 ヤマサ醤油は初代・濱口儀兵衛が紀州から銚子に渡り、1645年に創業した。江戸の人々が関西の薄口醤油よりも濃口醤油を好んだことで、醤油醸造は隆盛を極める。 そしてヤマサは1864年、江戸幕府より特に品質に優れた醤油として、「最上醤油」の称号を得たのだ。 幕末に生きた7代目・儀兵衛は1500両もの私財を投じて津波を防ぐ堤防を築き、明治政府の重職にも起用された。 銚子で生まれ育ち、地元の歴史に詳しい住民(88歳)が語る。 「銚子は寒暖差が少なく湿度も高いため麴菌の生育に適しており、大豆の産地に近く利根川の水運も使えたので、醤油を生産して運ぶのにうってつけの土地でした。漁師町でもあるので、銚子電鉄の車内は醤油工場で働く人と、漁業関係者で、においが凄かったのを覚えています(笑)」 同じ濱口家が発祥であるヤマサ醤油とヒゲタ醤油はどちらも、銚子駅から徒歩圏内に工場を構える。銚子の町と醤油醸造業は、切っても切れない関係なのだ。