【解説】徹底的な情報規制で“隠された大地震”南海トラフ「昭和東南海地震」から80年
■なぜ隠された?昭和東南海地震から80年
12月7日で、昭和東南海地震から80年です。この地震は、今後30年以内に70~80パーセントの確率でおこるとされている、「南海トラフ地震」のひとつです。 1944年12月7日、紀伊半島東部の熊野灘で地震が発生しました。三重県や静岡県の一部で震度6弱から7相当の揺れに見舞われ、1200人以上の死者がでました。加えて紀伊半島から伊豆半島にかけては津波による大きな被害があり、8m~10mを観測した地域もありました。 このように被害も大きな地震だったにもかかわらず、昭和東南海地震のことを多くの国民が知っているわけではありません。なぜなのか? それは、この地震が太平洋戦争中、戦況が厳しくなってきた時期に発生したためです。このため、“隠された大地震”と言われています。このことに詳しい兵庫県立大学の木村玲欧教授は、この地震が「軍事的に重要な産業地域の被害につながり、飛行機(軍用機)の生産に影響が出るため、こういった情報は外に出してはいけないと言われていた」としています。国民の戦意喪失を防ぐためにも徹底的に隠されました。 メディアも、地震の被害がまるで小さかったかのように報道を出すことしか許されず、地元の回覧板などでも“外にもらしてはいけない”と周知徹底されたということです。このため、被災地の外の人は、被害のことをほとんど知りませんでした。 しかし、当時すでに地震観測の技術は発達していたため、日本で大きな地震がおきたことは、アメリカをはじめとする諸外国ではバレバレだったようです。
■戦後日本に追い打ち…2年後にさらに大地震発生
南海トラフでの大地震は、これでは終わりませんでした。今度は戦後間もない1946年。マグニチュード8をこえる大きな地震が、今度は西側の海域でおきました。「昭和南海地震」です。 南海トラフでは大きな地震がおよそ100年~150年ごとに繰り返し発生しています。なかでも、過去2回の南海トラフ地震の特徴が、東側で大きな地震がおきて、その後時間差で、西側でさらに大きな地震がおきていることです。江戸時代後期におきた地震でも、最初の地震から32時間後に地震が発生しました。