第一次世界大戦から100年 どんな戦争だった?
第一次世界大戦の開戦から、今年は100年にあたります。史上初の世界大戦なのに、日本人の関心はあまり高いとはいえず、日露戦争や太平洋戦争のように声高に論じられることはありません。「忘れ得ぬ戦争」である第二次大戦に対して、第一次大戦は「忘れられた戦争」ともいわれます。他方、こう述べる歴史家もいます。第一次大戦が現代に至る国際社会の枠組みをつくった、大戦中の1917年から新しい「世界史」が始まった、と。いずれにせよこの大戦の後、日本も「世界史」の主要アクターとして躍り出ることになります。
何がきっかけで開戦したのか?
中学の歴史教科書は、開戦の経緯を次のように説明しています。「1914(大正3)年、オーストリアの皇太子夫妻が、サラエボでセルビア人の青年に暗殺されました。オーストリアはセルビアに宣戦布告し、まもなく各国も参戦して、ドイツ、オーストリア、トルコを中心とする同盟国側と、イギリス、フランス、ロシアを中心とする連合国側に分かれて、第一次世界大戦が始まりました。」(東京書籍「新しい社会・歴史」) 暗殺事件は「サラエボ事件」で記憶されている方も多いでしょう。しかし、バルカン半島のサラエボ(現在のボスニア・ヘルツェゴビナ)という辺境地で起こった、「ささいな」という修飾語がつきそうな事件が、どうして世界大戦の引き金になったのでしょうか? 少し時代をさかのぼりましょう。 日本が明治維新という大変革期にあった19世紀後半、ヨーロッパは平和な「良き時代(ベルエポック)」でした。ヨーロッパ列強はひと足先に重工業化を成し遂げ、帝国主義の眼と刃(やいば)をアフリカから中東、アジア、太平洋へと向けていました。この海外航路・植民地争奪戦のなかで、利害の一致する国どうしが手を結び、世界は「同盟国」と「連合国」という2つのブロックに分かれていったのです。1902年の「日英同盟」も、たがいの「利」のもとで結ばれた同盟でした。ロシアの中国進出を牽制するという日英共通の「利」です。