アジアン・ヤング・ジェネレーション~香港(3)【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】
■メトロパークホテルの9階へ...... メトロパークホテルの1階では、コンシェルジュが観光客の対応をしていた。海外からとおぼしき、大きなスーツケースを抱えた観光客でごった返していた。20年前のスティグマは完全に取り払われている。 私は意を決して、ホテルのスタッフとおぼしき人に訊いてみた。「9階を見てきてもいいだろうか?」 「メトロポールホテルの9階(そして、911号室)」と言えば、知る人ぞ知る場所である。しかしそうは言っても、20年も前の、しかも前身のホテルでのエピソードである。そして、この連載コラムでも過去に触れたことがあるが、感染症の災禍の記憶は、能動的に「なかったこと」にされる傾向がある(26話)。 私が話しかけたスタッフは、そういう背景をそもそも知らなかったのか、あるいは私の英語がきちんと伝わらなかったのか、頭に疑問符を乗せたような様子にも見えたが、「ああ、別にいいんじゃないの」と、特に気に留める様子もなく、エレベーターの方向を促した。 次はいよいよ、「メトロパークホテルのエレベーター」である。「9」と「close」のボタンを、指ではなく肘で押す。 ――そして、9階。 そろりそろりと、部屋番号の表示を辿ってみる。「901-917」というブロックを進んでみる......が、どうにもおかしい。 二度、三度と往復してみて、908、909、910......、あるいは逆に、914、913、912......と辿ってみるが、どうしても「911」に辿り着かない。つまり、「911号室」がないのである。 やはり、感染症の記憶は「スティグマ」となり、能動的に「なかったこと」にされるのだ。 それを何度も確認した上で、そこにある現実を理解した私は、静かにこのホテルを後にした。 ※明日11月6日配信の(4)に続く 文・写真/佐藤 佳