大河や映画話題「安倍晴明」伝説と現実のギャップ 数々の作品、令和の今でもファンが多い背景
日本に帰国して、出世した真備は、恩人ともいうべき阿倍仲麻呂の子孫に恩返しをしたい、と考えるようになります。そして『金烏玉兎集』は、摂津国の阿倍野に住む、仲麻呂の子孫に託されることになるのです。 ■安倍晴明の母親は狐だった? しかし、せっかく託された秘伝書に、晴明の父・保名が関心を示すことはありませんでした。 『金烏玉兎集』に興味を持って、勉強し始めたのは、「安倍の童子」こと安倍晴明だったのです。
『物語』によると、晴明の母は狐だったとされます。しかもたんなる狐ではなく、信太明神の化身。晴明は「神の子」であったというのです。晴明が『金烏玉兎集』という秘伝書を読みこなし、陰陽道を習得できたのも「神の子」であったからでしょう。 さて『物語』には、こんなエピソードも描かれています。晴明は、村上天皇の病の要因を、カラスが話す噂話を理解したことにより突き止めるのです。その功により、晴明は陰陽寮トップである陰陽頭(おんようのかみ)に抜擢されたばかりか、易暦博士および縫殿頭の官職に任命されました。やっと真備から仲麻呂への恩返しが、果たされたと言えましょう。
ところで、江戸時代前期に成立した『物語』は、晴明の母を神の化身の狐としていました。 もちろん、これは虚構であり、「物語」にすぎないでしょう。その一方で、中世後期には、晴明を狐の子とする逸話も生まれていました。いや、母が狐どころか、父も母もいない、化生の者(化け物)との噂も、庶民の間で広がっていたのです。 それは先ほどのエピソードにもあったとおり、晴明が鳥獣が語る言葉を理解し、天皇を苦しめる病の根源(霊の祟り)を治すという、特殊能力の使い手と見られていたからこそ、だったと思われます。
しかし当然ですが、現実の晴明は化け物ではなく、人間です。父も母もいたのです。 晴明の父は『尊卑分脈』(室町時代に編纂された系図集)「安倍氏系図」によると、安倍益材(ますき)だとされます。母親についての記載はありません。 晴明の父・益材は「大膳大夫(おおかしわでのかみ)」だったと言われています。大膳職(宮内省の管轄。宮中の官人の食事や朝廷での会食の調理を担当)の長官だったのです。つまり、陰陽師ではありませんでした。晴明の先祖も、陰陽師ではなかったのです。