上間綾乃、時代に合わせて進化する沖縄の歌「私なりに歌い継いでいきたい」
どこか懐かしいのに、まったく古さを感じさせない沖縄民謡。それは新しいものを取り入れながら、その時代それぞれの人たちの思いを歌い継いでいくものだからだという。 歌手、上間綾乃(うえまあやの)は沖縄民謡は「民の謡(うた)」で、はやり歌であり、ワールドミュージックのひとつのジャンルに位置づけられるものだと話す。アルバム『タミノウタ』を6月21日に発表した上間が自身の歌を通し、生まれ島・沖縄への思いを語った。
宮沢和史さんに代わって歌い継いでいきたい「島唄」 私が歌うならウチナーグチで
同アルバムのトラック1には、「島唄 南の四季」が収録されている。 2014年12月に行われたTHE BOOMの解散コンサートで彼らの演奏する最後の「島唄」を聴いたとき、「この曲を私が歌い継いでいかなくては」と感じた。後にその気持ちを元THE BOOMのボーカリスト、宮沢和史さんに伝えると「うれしいね、歌って」と言ってもらえたという。今ではすっかり沖縄の歌と認知されている「島唄」だが、1993年の発表当初は、沖縄出身ではない宮沢さんが沖縄の悲哀を歌うことに一時、世間はざわついた。しかし、上間にとって「島唄」には特別な思いがあった。 「『島唄』は沖縄の音楽シーンが見直されるきっかけを与えてくれた歌。宮沢さんが歌に託した思いと生み出すまでの苦労、そして発表されてからの葛藤や苦悩の中、沖縄に対する深い愛情を持って走り続けてきた思いを歌い継いでいけたらいいなと思いました」 そして、上間が歌うなら、ウチナーグチ(沖縄の言葉)がいいと思った。歌詞は我如子より子さんによるものだ。 「もの悲しい『島唄』を恋の歌に生まれ変わらせてしまうっていうのが、沖縄民謡の特長というのでしょうか。いろいろなエッセンスを加えて、同じタイトルだけど全然違う歌詞で歌うのは沖縄ではわりとスタンダードなんです」 沖縄の歌が古くならず、いつまでも愛され続ける理由はここにある。
ウチナーグチに「悲しい」の直訳はなかった
同アルバムでは、古くから沖縄で歌い継がれている「サーサー節」や「デンサー節」のほか、沖縄とはゆかりのない歌をウチナーグチに訳して歌っているのが、ザ・フォーク・クルセダーズの「悲しくてやりきれない」だ。 「(元の曲が)沖縄の歩んできた道とシンクロして思えて、悲しいけれど光が見える、それを沖縄の言葉で歌ってみたいと思いました」 ところが困ったことにウチナーグチには「悲しい」という直訳が見つからなかったという。悲しい出来事がたくさんあったはずなのに。沖縄の人たちは「悲しい気持ち」を何に変換していったのだろうか? 「自分の意思に反して命奪われていった人たちがいて、残された人たちは“生き残った”ではなく、“生き残ってしまった”という罪の意識があった。でも悲しみを『歌や踊り』に変えていったと聞きました」 「命(ぬち)どぅ宝」、命こそ宝という言葉があるが、終戦後米軍占領下の沖縄では、そんな気分になれなかった人もたくさんいた。上間は悲しみに暮れる家庭に三線を持って歌を届けた小那覇 舞天(おなは ぶーてん1897-1969)さんの存在について教えてくれた。 「“なんでこんな時に?”と、最初は受け入れられない方もいたそうですが、“こんな時だからこそ、命のお祝いをしましょう”と押しつけがましさはなく、歌って踊って。供養になるじゃないですか。歌の力は本当に大きい。そういった先輩がいたからこそ、今も歌があって、新しい歌が生まれて消えることなく、化石になることなく歌い継がれているんです」