意外と知らない、「恋愛が上手い人」と「モテない人」の決定的な違い
わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。 【写真】人生で「成功する人」と「失敗する人」の大きな違い ※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。 恋愛はいつでも悲劇的な結果に終わる喜劇である。 実らなかった恋愛は常に、目的に対して過大な手段の罠、目的と手段の転倒の罠、短期志向と近視眼の罠……といった経営の問題として説明できる。
魔の谷:理想の恋愛不可能性定理
たとえば意中の相手に「家庭的な人が好き」と言われ、その日のうちに料理教室に入会し、デートに手作り弁当を持っていくようになるが、その細菌培養液型弁当を食べた相手が案の定、食中毒にかかってしまい、相手から「君の/あなたのこと、もう擬人化した黄色ブドウ球菌としか思えなくて……」と、よくあるお決まりのセリフを吐かれ振られてしまう。 あるいは、気になっている人との細かい会話から相手の好きなお菓子を特定し、デートの約束もしていないのに「あっ、ちょっと、近くによったからさ。あ、これ、君が好きって言ってたやつ。このあいだ、たまたま新宿で見つけたから」などと矛盾だらけの供述をしながらお菓子を手渡して無事にストーカー扱いされたりする。 本当は超が付くインドア派なのに好きな相手と同じくスポーツ観戦が趣味だとアピールした結果、デートの内容がスポーツ観戦固定状態になり毎度毎度何の興味もない試合を見せられてゲンナリするということもある。 これら三つはすべて、「目的に対して過大すぎる手段によって、目的の実現そのものが妨げられてしまった、経営の失敗」の例として捉えられるだろう。 なお本章のエピソードの大部分は明らかに異性にモテそうな人物から入手したものだ(一つだけ残念なのはその人物というのが私ではないことである)。そうした才色兼備型の人であっても数分の間に次から次へと恋愛における失敗体験が湧いて出てくる。 こうした障害を回避して、無事に恋人同士になったとしても、恋愛関係を持続するのはさらに困難だ(婚姻関係を解消するのが困難なのとは対照的である)。 たとえば付き合っている彼氏による「俺、自立している女性とお互いに尊敬できる関係を築きたいんだよね」との戯言を真に受けて、彼氏に頼らず/甘えずに大胆な仕事と丁寧な生活とを両立させるような人もいる。 しかし、仕事の愚痴や日常の悩みを誰にも相談せずに一人で歯を食いしばって、無骨にスルメを噛み噛み耐えていたのにもかかわらず、唐突に彼氏から「○○ちゃんって一人で生きていけるよね」と振られたりする。 その彼氏はというと、さっそく自立もへったくれもないような、物理的・精神的・社会的・経済的にすなわち総花的に「よく転ぶ、転倒する」新しい彼女をどこからか見つけてきて、「この子は俺がいないとダメなんだ」などと嘯くのである。 これは「目的と手段の転倒による経営の失敗」の例として理解できるだろう。 さらに二人の関係に亀裂を入れるさまざまな問題を乗り越えていったとしても別の災難がやってくる。 たとえば、相手の要求に合わせて物わかりのいい男/女や都合のいい男/女を演じていたら、だんだんと相手が寄生虫型・ヒモ型の我儘放題の怪物に育っていったりする。こうなってしまっては相手からの「ずっと一緒にいようね(迫真)」の一言も、もはやホラー映画のセリフとしか思えなくなってくる。 これらの欠点がない、まさに理想の伴侶を見つけたとしても、「相手に結婚を意識してもらうためにタイムリミットを相手に伝えよう」とのファッション誌の記事を鵜呑みにして、「30歳までに結婚しないなら別れる」と宣言した瞬間に「重すぎる」と別れを告げられたりする。 ならば婚活だ、と、マッチングアプリやマッチングイベントに参加しても、あまりの選択肢の多さにかえって他人の悪いところしか見られなくなってしまう。かといって恋愛はもう面倒だ、とばかりに、一緒にいても違和感しか覚えないが表面的なスペック(性能)が無難な好きでもない相手と結婚するという「大学入学時のはじめてのパソコン選び」のような結婚をして結婚生活が地獄になったりもする。 これら三つは「短期志向と近視眼による経営の失敗」として説明できるだろう。 このように理想の相手と出会えること、その相手との恋愛が成就することは、ほとんど奇跡といってよい。考えてみれば数理的・確率論的にいってもこれは当たり前だ。このことを理解するために巷でよく耳にする「普通の人でいいのに、出会いがなくて……」という悩みを分析してみよう。 以下は少し数学っぽい話になるが細かい数式は追わずにざっくりと流し読みしていただければ大丈夫である(そうでないと私の計算間違いが露呈するので困る)。 まず誰しも恋愛において重要視する要素を持っている。ネット上にあふれる婚活体験談・恋愛体験談を総合すると、性格、話の面白さ、収入、顔、体形、ファッションセンス、趣味、金遣い、家事への積極性、マザコンかどうか……などなどだろう。 これらの要素はそれぞれ独立だとする。このとき「ある人物が、(正規分布に従う、十分大きな母集団を構成する)ひとつの要素において、平均以上の性能を発揮できる確率」は、上位半分に入る確率と等しいから当然2分の1だ。 次に「当該人物が、先ほどの要素に加えて、別のひとつの要素において平均以上の性能を発揮できる確率」は2分の1×2分の1である。こうして計算すると先ほどの十の要素すべてで平均以上の性能を発揮する人物は1024人に1人しかいない。 このように、恋愛において普通の人と出会えない理由は「ある人が自分にとっての普通の人である確率=『2の自分がこだわる要素数乗』分の1」だからである。たとえば、10個のこだわり要素があるなら1024分の1(約1000人に1人)、こだわり要素が20個なら1048576分の1(約100万人に1人)しか「普通の人」は存在しない。 さらに難しいことに、仮にこうした「激レア普通人材」に出会えたとしてもそこに「相手が自分を好きになってくれる確率」を掛け算しなければいけない。 つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。
岩尾 俊兵(慶應義塾大学商学部准教授)