「核のタブーが壊されようとしている」日本被団協が世界へスピーチ ノーベル平和賞
そして、日本時間午後9時から始まった授賞式。平和賞の歴史に、新たな一ページが刻まれました。 日本被団協代表委員 田中熙巳さん 「私は長崎原爆の被爆者の一人です。13歳の時に、爆心地から東に3キロ余り離れた自宅で被爆しました。その時、目にした人々の死にざまは、人間の死とはとても言えないありさまでした。誰からの手当ても受けることなく、苦しんでいる人々が何十人、何百人といました。たとえ戦争といえども、こんな殺し方、こんな傷つけ方をしてはいけないと、その時、強く感じたものです。想像してみてください。直ちに発射できる核弾頭が4000発もあるということを。広島や長崎で起こったことの数百倍、数千倍の被害が直ちに現出することがあるということ。皆さんがいつ被害者になってもおかしくない。あるいは加害者になるかもしれない。ですから、核兵器をなくしていくためにどうしたらいいか世界中の皆さんで共に話し合い、求めていただきたいと思うのです。原爆被害者の現在の平均年齢は85歳。10年先には直接の被爆体験者として証言ができるのは数人になるかもしれません。これからは、私たちがやってきた運動を、次の世代の皆さんが工夫して築いていくことを期待しています。人類が核兵器で自滅することのないよう、核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共にがんばりましょう」 20分間の受賞講演には、核廃絶に向けてたくさんのメッセージや思いが込められていました。 日本被団協代表委員 田中熙巳さん 「(被団協の)運動は“核タブー”の形成に大きな役割を果たしたことは間違いないでしょう。しかし今日、依然として、ウクライナ戦争における核超大国のロシアによる核の威嚇、またパレスチナ自治区ガザ地区に対し、イスラエルが執拗に攻撃を加えるなかで、核兵器の使用を口にする閣僚が現れるなど “核のタブー”が壊されようとしていることに、限りない口惜しさと憤りを覚えます」 13歳の時に長崎で被爆し、親族5人を亡くした田中さん。自身の被爆体験について、当時見た光景をありのままに伝えました。 日本被団協代表委員 田中熙巳さん 「麓に降りていく道筋の家は全て焼け落ち、その周りに遺体が放置され、あるいは大けがや大やけどを負いながら、なお生きている人々が誰からの救援もなく放置されておりました。私はほとんど無感動になり、人間らしい心も閉ざし、ただひたすら目的地に向かうだけでした」 さらに、講演の最後には世界に向けて“願い”を伝えました。 日本被団協代表委員 田中熙巳さん 「『核兵器禁止条約』のさらなる普遍化と、核兵器廃絶の国際条約の締結を目指し、原爆体験の証言の場を各国で開いてください。とりわけ核兵器国とそれらの同盟国の市民の中にしっかりと、核兵器は人類と共存できない、共存させてはならないという信念が根付くこと。自国の政府の核政策を変えさせる力になること。それを私たちは願っています」
テレビ朝日