古豪・仙台商が41年ぶりの聖地目指す! 「仙台育英撃破」を見て入部した”黄金世代”が最上級生に【野球部訪問】
「悔しさ」知って成長した二人の右腕
投手陣では、昨秋の県大会3試合でいずれも先発したアンダースロー右腕・大友 光晴投手(3年)が軸となる。元々はオーバースローだったが、1年夏に下原監督の勧めでアンダースローに転向。当初は高かったリリースポイントが徐々に下がり、転向から1年後には投球が安定するようになった。
しかし、昨秋は準々決勝の古川学園戦で3回途中5失点と試合をつくれず。「野手が点を取ってくれたのに踏ん張りきれず、悔しい試合だった」。緩急のない投球に課題を感じた大友は、今オフは投球の幅を広げることに注力。その結果、ファウルを取れる高めの直球や遅い変化球を駆使した投球ができるようになってきた。対戦校にとってはますます厄介な存在となりそうだ。 大友とはタイプの異なるオーバースロー右腕の作田 光哉投手(3年)も投手陣の鍵を握る。制球力を武器に、1年夏から公式戦のマウンドを経験。今オフは肘を故障し出遅れたものの、毎日の体幹トレーニングを継続するなど高校最後の1年に向け準備は怠らなかった。 昨春の東北大会では初戦の花巻東戦に救援登板し、1回を三者凡退に抑えた。中でも手応えをつかんだのが、国内屈指の強打者・佐々木 麟太郎内野手との対戦。「第1打席のフェンス直撃の二塁打を見て力は間違いないと思ったけど、気持ちで負けたらそこで終わり」。物怖じすることなく強気に内角を攻め、直球で詰まらせて遊飛に仕留めた。 一方、夏の宮城大会初戦ではタイブレークの10回に失点し敗戦投手に。「経験はあったはずなのに、四球から崩れてしまった。先輩方を勝たせてあげられなくて申し訳なかった」と悔しさを噛みしめた。2年生のうちに手にした自信と味わった屈辱は、必ずや今年に生きるはずだ。 「40年以上遠ざかっている甲子園にもう一度行って、『仙台商業』というブランドをもっと全国に広めたい。そして自分たちよりも下の世代の小中学生に勇気を与えられるようなプレーをしたい」(熊坂)。仙台商が最後に甲子園に出場したのは1983年夏。41年ぶりの聖地を、選手たちは本気で狙っている。そのためにはまず県内で、3年前を超える快進撃を起こしたい。 (取材=川浪康太郎)