アタシもハマったわ! アルゼンチンタンゴバーは大阪を救い、世界を救う!!
Yukako、NYでタンゴと出逢う
今年16年目を迎えるタンゴバー・カフェティン・デ・ブエノスアイレスを経営するのは「大阪タンゴ」を主宰するYukako(ユカコ)。世界的なプロダンサーやミュージシャンらを招聘してのタンゴレッスンやイベント、ショーのプロデュースを行う傍ら、一般社団法人日本アルゼンチンタンゴ連盟関西支部長や、NPO法人日本アルゼンチンタンゴセラピー大阪支部長などを務める彼女に、タンゴと出逢ったきっかけやカフェティン誕生の経緯を聞いた。 「母や祖母の影響やと思うけど、子どもの頃から舞台やミュージカルが好きでね。母親のお腹にいるときから、舞台を見てたらしい(笑)。中学時代は演劇部で、ダンスを始めたのは高校生のとき。京都の老舗ダンスカンパニーからスカウトされて卒業後、そこの研究生になって、20歳の頃にはジャズダンスを教えてた。でも、スケジュールがハード過ぎて疲労骨折を起こして……。そんなとき、アメリカで暮らす兄から『NYでベビーシッターやってくれへんか? 』って頼まれたんよ。兄夫婦に赤ちゃんが生まれて、信頼できるベビーシッターが見つかれへんからって、私に白羽の矢がたったんよね。 それでNYへ行ったのよ。そしたら、日本でダンスを教えていた時の生徒さんが訪ねてきてくれて、ある日、一緒にラテンレストランへ行ったの。すると、突然生演奏が始まったと思ったら、座っていたお客さんたちが立ち上がって、サルサを踊り始めたんよね。社交ダンスではないペアダンスを初めて見て、それが、すごくお洒落な映画のワンシーンみたいで感動したのよ。それで、ペアダンスを教えてくれるダンススクールを探して、スカラシップ制度の特待生として合格して、タンゴに出逢ってん」 Yukakoは最初、タンゴはあまり好きでなかったという。「だって、知らない人ともくっついて踊るし、自分一人では踊られへんでしょ。ダンス経験があったから、余計にそう思ったと思う。でも、タンゴの発表会でペアで踊った先輩に『キミには軸がない。人生に軸がないから』って言われたんよね。それで決めたの。私はタンゴで生きていこう、って」 NY滞在中、ブエノスアイレスに渡ってタンゴを学んだYukakoは帰国後、カルチャー教室に片っ端から電話をかけ、タンゴを教え始めた。レストランやバーなど、様々な場所を借りてレッスンしたが、やっぱり拠点が必要だと思って見つけたのが大阪・西天満、骨董通りと呼ばれる老松通りにあるビルの地下1階だった。 「ブエノスにもアンティークのお店が沢山ある石畳の街・サンテルモ地区っていうとこがあってね、そこに小さなタンゴバーがあるのよ。それで、大阪の骨董通りにある小さなタンゴバーというイメージがピンと来たんよね。その同じ地区にある有名なタンゴバー・スールをイメージして作ったのがカフェティンなん。店の壁にかかっている写真や調度品は、サンテルモ地区にあるドレーゴ広場で毎週日曜に開かれるアンティークマーケットに通って、少しずつ集めたの。本場の雰囲気を知ってほしくて、そこはこだわったの」