初めて見た中日・中田翔の厳しい表情…フォーム変更と故障に悩まされたシーズンから勝負の2025年へ「最後まで悔いなく全うしたいね」
◇ドラ番「蔵出し秘話2024」=6= 9月というのに真夏の気配が消える様子の一切ないナゴヤ球場だった。ちょっとした休憩時間に顔を合わせると、中田がおもむろに口を開いた。 「西岡剛さんって阪神辞めたの何歳?」。34歳シーズンのオフに阪神を退団し、その翌年から独立リーグでプレーしていた。「もうオレ、その年齢超えてるのか」。そこから「稲葉さんは?」「小谷野さんは?」と続いた。何を考えているのかは、言わずとも伝わってきた。来年の今ごろどうなっているのだろう―。シーズン中にここまで険しい表情を見るのは初めてのことだった。 それだけ苦しいシーズンだった。大きな期待を背負ってのドラゴンズ入り。3、4月は順調にスタートした。チームは8年ぶりの単独首位にも立ち、その原動力になったことは間違いない。そこから中田の低迷とともにチームは下降線を描いていった。 わずかな誤差が大きな結果の差を生み出す世界。求められる打撃に対応しようとするがあまり、徐々に狂いが生じていった。「いろいろなフォームを自分自身やりすぎてしまった部分はあるし、自分に対してもっと意思を強く持っていればよかった」。故障にも悩まされた。一番ネックになったのは腰だ。シーズン中も痛み止めは何度も打っている。それもいつしか効かなくなっていた。「長くやっているからその辺は仕方ないけど何ともならなかった」。自分の意思ではどうしようもならない状態だった。 ちょうど中田が30歳になったときのことだった。今後の野球人生をどう思い描いているのか聞いたことがある。「案外スパっと辞めるかも。執着はしないと思う」。その考えは変わっていないのだろう。今シーズンの前にも「この2年でダメなら終わり」と言っていたし、先日の契約更改の場でも「ラストチャンス」と話していた。それが今の中田の”リアル”ということだ。 子どものころから別世界を生きてきた。人生初アーチは小学3年生。地元広島から大阪に遠征したときのこと。「60メートルくらいあったバックスクリーンに当たった。相手チームの監督が驚いて、この子に今夜は焼き肉食べさせてあげてって」。これが本人にとっては驚くことでも何でもなかった。「そこそこ当たればホームランになると思っていたから」 そこから中学、高校、プロと先頭を走ってきた。あり余る才能は、時に執着よりも諦めの良さを生む。中田を見ているとそんなふうに感じる。そして「1年でも長く」なんて殊勝なことを言わないから、いつも気になってしまう。 「打てなきゃブーイング食らうし、こんなキャラだからいろんなことで炎上するし。裏を返せばそれだけ注目してもらっているということだけど、キツいときもあるよ。でも良い子ちゃんするのもね。言いたいこと言う。やりたいようやる。それでダメなら仕方ない」 どんな未来が待っているのだろう。やっぱり「ボロボロになるまで」と考えが変わってもいい。まずは勝負の2025年。腰の負担を考え、体重を15キロ減らした。それがV字回復へ向けた何よりの決意と覚悟だ。「最後まで悔いなく全うしたいね」。中田の好きな曲のひとつ、長渕剛の「西新宿の親父の唄」のサビが頭の中で勝手にリフレインする。やるなら今しかねえ―。 (土屋善文) =おわり
中日スポーツ