【袴田事件とは】58年前に静岡・旧清水市で一家4人が殺害された事件…無実訴え続けた巌さんの闘い振り返る
Daiichi-TV(静岡第一テレビ)
静岡・旧清水市で一家4人が殺害された58年前の事件で、無実を訴え続けてきた袴田巌さんのこれまでの闘いを振り返ります。 袴田事件とは…。1966年6月30日。静岡・旧清水市でみそ製造会社の専務宅が全焼。焼け跡から41歳の専務とその妻。中学3年の長男 と 高校2年生の 次女の4人の遺体が発見され刃物で刺された痕が見つかりました。捜査対象となったのが、住み込み従業員で元プロボクサーの袴田巌さん当時30歳。当時の捜査員は、袴田さんが犯人であると今でも話します。 (元捜査員) 「逮捕するまでの1か月の間に煮詰まっていった。最初から袴田ではない。いろいろな捜査をやる。消えていったの。最後に説明つかない人が残る。袴田がどの部門でも、袴田は全部残った。あくまでも彼だと」 そして、事件発生から49日。強盗殺人・放火犯として袴田巌さんが逮捕されたのです。取り調べでは、無実を訴え続けました。 (警察の取り調べの録音) (袴田 巌さん) 「あんたがたね、ほんとに自信をもっていっているけどね」 (捜査員) 「うん、うん」 (袴田 巌さん) 「他に犯人が挙がったらどうする」 (捜査員) 「他に犯人が挙がったら。ないよ挙がりっこないよ」 (袴田 巌さん) 「いや必ず、挙がる」 事件当時の警察の捜査記録には、取り調べについてこう記されています。 (事件当時の警察の捜査記録) 『犯人は袴田以外にはない。袴田に印象づけることにつとめる』 取り調べは、連日長時間に及び、長い日で16時間以上。そして、逮捕から20日目。袴田さんは自白します。 (警察の取り調べの録音) (捜査員) 「君の現在の心境はどうなんだ」 (袴田 巌さん) 「大変恐ろしいことをやったと思っています」 しかし、裁判では一転、無罪を主張。 取り調べで「自白」した理由について、家族に送った手紙にこう記されていました。 (袴田巌さんが家族に送った手紙) 『殺しても病気で死んだと報告すればそれまでだと脅し、こん棒で殴った。捜査陣に従ったのは、おのが命を守るためだったのだ』 そして、事件から1年2か月後、みそ会社の従業員が工場内のタンクのみその中から麻袋に入れられた血に染まった"5点の衣類"が発見されます。これが、袴田さんを犯人とする決定的な証拠となり死刑判決が言い渡されたのです。 その後も、獄中から無実を訴えた袴田さん。送り続けた手紙は数千通に上ります。弁護団、姉のひで子さんそして支援者が声を上げ続けますが再審開始への扉は重く開きません。しかし、2010年、事件から44年。第二次再審請求で一筋の光が差します。検察側は証拠開示に初めて応じ、600点を超える証拠を開示したのです。 (弁護団 小川 秀世 弁護士) 「今出せるなら、なんで40年前に出さなかった。40年間、何やっていたんだ。第1次再審請求は何だったんだと、そういう話ですよね」 その中に含まれていたのが、犯行時の着衣とされる"5点の衣類"の鮮明なカラー写真。血痕には赤みが残っていました。支援者が、血の着いた衣類をみそにつける実験をしたところ、血は短期間で黒く変色。弁護側は、この結果をもとに、"5点の衣類"は1年以上みそにつかった衣類ではなく、発見直前にみそタンクに入れられた「ねつ造」された証拠だと主張。 (伊藤 久郎 アナウンサー) 「今、弁護団の一人が出てきました。再審開始。再審開始。今、ここ静岡地裁から判断が下されました」 事件から48年。静岡地裁は、5点の衣類の血痕の色の赤みなどを理由に裁判のやり直しを認めただけでなく捜査機関が証拠をねつ造した可能性を指摘。袴田さんを釈放したのです。しかし、検察が不服を申し立てたことで審理は長期化します。2018年には高裁がこの決定取り消し、再審の扉は閉じられます。しかし、最高裁は審理が尽くされていないと高裁に審理を差し戻し。去年3月。東京高裁は再審開始決定。釈放から9年たって、ようやく2023年10月から静岡地裁で再審裁判が始まったのです。 (袴田巌さんの弁護団) 「無罪、無罪、無実」 15回にわたる審理で、弁護団は無罪を主張し捜査機関による複数の証拠の「ねつ造」を指摘。一方、検察は、袴田さんに再び死刑を求刑。5点の衣類を除いても袴田さんが犯人であることは認められると主張。さらに、「ねつ造」については合理的な根拠のない非現実的で実行不可能な空論だと主張しました。 そして、26日、事件から58年を経て、袴田さんに再び判決が言い渡されたのです。