“遺す”と安易に選択できず…費用面や安全面から消えゆく『戦争遺構』愚かさを未来に伝え続けるためには
しかし、滑走台の西側にあった戦禍を逃れた弾薬庫や航空機の整備工場の土地は、国から企業に売却され、現在は太陽光パネルが並んでいる。 美浜町文化財保護委員 山下泉さん(73): 「元々ここは第二河和海軍航空隊の工場とか格納庫とかその他諸々の大きな建物があった場所です。時代の流れと言いますかね、やむを得ない部分もあるでしょうね」
終戦から79年が経ち、「戦争遺構」が、消えつつある。
■愛知だけで「25件」消滅…土地問題や保全費用等が課題に
何が起きているのかを調べるために愛知県の文化財室に確認すると、県が2024年6月にかけて戦時中の傷痕が残った建物など各市町村に照会した結果、305件のうち25件が消滅していたという。 愛知県文化財室 辻光代室長: 「それぞれの所有者であったり、管理者がいらっしゃいますので、その方たちのご意向というものが大きい」
仮に『戦争遺構』とされた場合であっても、その場所が私有地であれば、「遺す」「遺さない」の判断は一般的に土地の所有者に委ねられる。戦禍を逃れた建物は老朽化も進み、保全には莫大な費用が掛かるため、安易に「遺す」選択ができないのも現実だ。 愛知県文化財室 辻光代室長: 「行政的に“必ず保存してください”ということは、検討してもできないところがあるので。愛知県が“ダメだ”というふうに止める権限はないのかなと」
消えゆく理由は、「費用」の面だけではない。 愛知県瀬戸市の雑木林を抜けると、土砂で埋まった穴がある。
ここは、愛知航空機の疎開工場「瀬戸地下軍需工場」の跡地だ。
しかし、入口には後から設けた鉄の柵があり、安全面から中を調べることも叶わなくなっていて、忘れ去られる運命が待っているように感じられる。 瀬戸地下軍需工場跡を保存する会: 「2005年に鹿児島で事故があったんですよ。陸軍の本土決戦用のトンネルで、中学生が遊んでいて窒息死した。たぶん、中で焚き火か何かをしていたと思う」
姿を消す遺構、記憶から消える遺構。終戦から79年という時間が、「遺すこと」の難しさを物語っていた。