<ラグビーW杯>エディジャパンに奇跡を呼ぶ「85年世代」
若くして成果を残したからか、「85年世代」は長らく「黄金世代」と謳われてきた。高い運動能力を持つ青年同士がラグビーを選び、国内ではライバルとして切磋琢磨してきた歴史が、いまの立場を象っている。 もっとも、その経緯を「世代別育成の成果」と単一的に語るのは早計だろう。例えば、五郎丸と山田が1期生だった02年創設の「エリートアカデミー」。これは期待の若手を国際水準に引き上げるべく協会スタッフが直接指導するシステムだったが、いまや立ち消えの感がある。すでに第一線から離れた1期生もいる。 さらに山田は04年のU19世界選手権で控えに甘んじており、話題の五郎丸は堀江や畠山が参加した2011年のワールドカップニュージーランド大会には出場できなかった(山田と山下もメンバー外)。誰しも、当時の序列に即して出世したわけではない。雑多な世代、人種、キャリアの持ち主が集う国際ラグビーの舞台にあって、それぞれがそれぞれの力で生き残ってきたのである。 では、「85年世代」のなかから、いまの5人がトップランナーとなった要因は何なのか。一言で表せば、「常に腹の底から向上心が沸いていたから」となりそうだ。 例えば畠山。学生時代は「空飛ぶ横綱」の異名をとり、国内ではほぼ敵なしとされていた。しかし、3年時の大学選手権準決勝で山下のいる京産大と対戦。55―12で完勝したが、「負けた」との意識も抱いたようだ。スクラムで、である。その年度の変わり目に呼ばれた23歳以下日本代表合宿では、「どうしたら強いスクラムが組めるか」。同じ早大のプロップ滝澤直(現NEC)を連れて、一緒に招集されていた京産大プロップ勢に質問に行ったようだ。 「体重もどんどん増やしていて、まだまだ成長しようとしている。もっとすごい選手になって来るんじゃないかなと思いますね」 代表の軸になった最近の畠山をこう捉えるのは、副将の堀江である。この人もやはり「向上心」の尽きない選手だ。 力任せなプレーが十分に通用したはずの大学ラグビー界でも、守備網の隙間を縫う走りや位置取りを意識。「僕のなかでは相手を避けて走っているつもりなんですけど、周りからは全然そう見えんと言われる」と笑いながら、帝京大卒業後はニュージーランドのカンタベリー州へ留学した。当時は地元選手を優先する地域代表から漏れて「車のなかで泣いた」ものの、13年、スーパーラグビーのレベルズ入りを叶えた。サモア代表戦での彼我の状況を見ながらのスクラムワークは、海外の最前線でこしらえた。 ちなみに畠山のライバルであり同志の山下について、堀江は「しっかり自分を持っている。そういう選手にはこっちが関する質問をしても『うん』だけでなく何かしら返って来る」と話す。互いの「向上心」を認め合っている。