だれかを「尊敬する」ということと、Fとの出会い~サンフランシスコ【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】
Fはとにかく前向きで、破天荒だった。そのエピソードはここには書かない(書けない)が、なにかにつけ内向的、内省的だった私にとって、彼の行動や発想には目からウロコが落ちることばかりだった。 たとえば、私が大事な実験で失敗して悔やんでいるときには、「いやいや、何が問題だったか、解決方法がわかっただけでもラッキーでしょ」と言われた。またある時、私が誰かに何かを妬まれたり疎まれたりして、マイナスな気分になっているときには、「けいちゃんはそれをやって、彼らはそれをやらなかっただけでしょ。そんなこと言うなら、彼らも自分でやればよかっただけで、それでけいちゃんが死んだ魚みたいな目をすることないでしょ」というようなことを言われた。Fは、すべての物事に対して、前向きな、外向きな発想を持っていた。 彼のようにはなれなくとも、私は内向的な自分を変えたかった。彼といろいろな話をする中で、彼の思考やマインドを真似て、それを学んだ。彼は誰の悪口も言わなかったし、人生のすべてのことを楽観的に、前向きに、外向きに、楽しいイベントのように捉えているようにも思えた。愚痴も言わなかったし、もし仮に言ったとしても、それはくだらない笑い話のように聞こえた。 そのようにして彼を通じて体得した発想のひとつは、この連載コラムでも紹介したことがある。たとえば53話で紹介した「プランB」の発想などは、まさに彼とのやりとりから私が学んだ発想の典型である。 「それは一見マイナスに見えるかもしれないけれど、こう捉えればプラスになる」という前向きな発想の変換方法は、現在に至る私の発想・思想の根幹となっている。彼からそれを学んだことによって、現在の私がある。
■旅路を終えて これからもお互いに、まだまだ楽しく新しいことにチャレンジしていこう――。 サンフランシスコの最後の夜、あるルーフトップバーでIPAを飲み交わしながら、Fとはそういう話をした。 4年ぶりに訪れたアメリカは、接する人みんなが優しく感じた。Fだけではなく、研究所や大学で接した教授や研究員たちも、ホテルのフロントマンも、カフェの店員も、よもすると道すがらの人たちも。 それがいったい何に起因するのか? ある夜、ホテル近くのスポーツバーでひとり、メジャーリーグのプレーオフを見ながら、そしてやはりおいしいIPAを飲みながら、そんなことがふと頭をよぎった(そしてドジャースが、ダイヤモンドバックスにスイープされた)。 エクアドルのキト(58話)、それに、アメリカ・カリフォルニア州のパームスプリングス(61話)とサンフランシスコ。約2週間の旅路を終えた私は、ちょうど世に出たばかりのくるりの新譜『感覚は道標』に収録されている「California coconuts」を聴きながら、帰国の途についた。 京急の赤い電車に乗り、品川で降りる。羽田を発った頃には真夏の残暑の様相だった東京にも、すっかり秋の風が吹き始めていた。 文・写真/佐藤 佳