実は熱狂的な阪神ファン!明治安田生命・永島社長 営業職員の制度変更を決断 「一日一生」を胸に刻む経営術とは!?
「いつ死んでもおかしくない」と感じたロサンゼルス駐在員時代
―――一番の大きな転機はいつですか? 20代の後半5年間、米国ロサンゼルスに駐在していました。当時のロサンゼルスは治安が悪くて、銃声が聞こえたり大きな暴動があったり、地震があって私が毎日車を運転していたサンタモニカフリーウェイが落っこちたり、色々なことがあって「いつ死んでもおかしくないな」とか思っていました。でも「大好きなロサンゼルスで死ねたら幸せだな」と思うと同時に、駐在員は電話1本でいつ東京に戻れと言われるかわからないので、「きょう1日を一生と思って一生懸命生きよう」と思うようになりまして、「一日一生」が座右の銘になりました。その原点はロサンゼルスにありますね。 ―――大変な時期の赴任だったんですね。 ダウンタウンにオフィスがありまして、私はサンタモニカに住んでいたので、夕方にサンタモニカフリーウェイをお気に入りのFMを聞きながら車を走らせると、真っ赤な大きな夕日が沈んでいくんですよ。それを見ながらなんだか涙が出てきましてね。「この美しい夕日をあと何度見られるかな」なんて。20代の後半に東京にいたら、昨日と同じ明日があるって普通に思っていたかもしれない。でも、ロサンゼルスで生活することで「きょうという1日を本当にかけがえのないものに」という思いがすごく強くなりました。
私服・スニーカー姿で受けた「社長」辞令
―――「社長を任せる」と言われた時のことは覚えていますか? 私服でスニーカーを履いて出社して良い日だったので、ラフな恰好で当時の鈴木会長と根 岸社長から呼び出されて会いにいきました。そこで内示がありまして、最初に思ったのは「スーツを着て会社に来ればよかった」と。聞いた時にはただびっくりで、責任の重さを本当に感じましたけど、「会長、社長、あるいは社外取締役の総意だから」という話がありましたので、「もうこれは腹をくくってお受けするしかない」と思って「誠心誠意やらせていただきます」と挨拶をさせていただきました。 ―――社長になって見える風景は変わりましたか? 風景ではないですけど、私が社長に就任すると社内外に発表された時に、最初に来たのは総務部だったんですよ。「何かな?」と思ったら、保険証券に社長の名前で署名が入るんですよね。その署名があるので「毛筆かサインペンで書いてください」って言われまして、「しまった」と思ったんです。私、字が汚いんですよ。「いや参ったな」と思いましたけど、同時に思ったのは、その1枚1枚の保険証券には色んな家族に対する思いだとか愛情だとかの思いがこもっていて、自分の署名が入る責任の重さを痛感しました。