イッセイミヤケ最後の遺産「塩の香り」は、どのようにして誕生したのか
無臭の天然素材「塩」の香水をつくりたい。それが、2022年に亡くなった三宅一生が生前に残した最後の願いだった。そして2024年9月、その奇跡の香り「ル セルドゥ イッセイ」がお披露目された。ボトルデザインを担当した吉岡徳仁に、スペイン「エル・パイス」紙が話を聞いた。 【画像】吉岡徳仁がボトルデザインを手がけた「ル セルドゥ イッセイ(Le Sel d’Issey)」 現代デザイン界有数の鬼才、三宅一生は死ぬ前に明確な指示を残した──彼のこの世で最後のレガシーは、塩の香りを明らかにすることになるだろう、というものだ。 塩、すなわち化学用語で「塩化ナトリウム」と定義されるこの物質は、自然によって強烈な味を授けられたが、それと引き換えに、香りはぼんやりしていて捉えどころがない。 西欧文化の信仰とは反対に、日本ではテーブルにこぼれた少量の塩は吉兆とされる。また、塩は悪霊を除く助けになるともいわれている。三宅はこのエレメントのために、香りをつくりだすことにした。 これに似た挑戦は、遡ること30年前、ジャック・キャヴァリエに依頼された三宅初の男性向け香水「ロードゥ イッセイ プールオム(L’eau d’Issey pour Homme)」でも見られた。三宅はこの香水で、もう一つの無臭の天然素材、水に香りを授けた。 現在も世界中でベストセラーであり続けるこの香水は、メンズ香水のパラダイムを一変させた。それまではウッディノート(香調)やスパイシーノートが主流だったものを、アクアティックでフレッシュなタッチに変え、禅と「ニューエイジ」の香水の10年が幕を開けたのだ。 アーティストの吉岡徳仁は、このブランドの最新フレグランス「ル セルドゥ イッセイ(Le Sel d’Issey)」のボトルをデザインするにあたり、三宅自身から電話で明確な指示を受けた。当時すでに重病だった三宅は、塩のために、曇りのない、エネルギッシュな、輝く容れ物を求めた。吉岡は、こう振り返る。 「亡くなる前に三宅さんは、この新たなフレグランスは自分にとって、とても重要なプロジェクトなのだと私に言いました。塩にインスピレーションを受けたフレグランスを創りたいという三宅さんの望みは、大変強いものでした。そこで私は 『光』の印象を与えるような、明晰で力強い、象徴的なボトルを作りたいと思ったのです」 吉岡は21歳のときに、日本人デザイナー倉俣史朗のおかげで三宅と知り合った。彼らの繋がりは非常に強く、30年以上の時間を共にした。 「三宅さんのアトリエで、私はパリコレのための帽子とバッグをデザインしました。展示会向けのインスタレーションも作りました。最初に手がけたのは、『カルティエ現代美術財団』が1998年に主催した『Issey Miyake: Making Things』展のためのものです。その後2001年には時計コレクション「V(ヴィ)」をデザインし、東京、ミラノ、ロンドン、そしてパリのブティックの空間を手がけました」 彼らは、やがて親友になった。その絆は深く、吉岡は三宅一生のコンセプトの全演出の責任者を務めている。三宅のコンセプトは、デザインとテクノロジーの崇高な融合であり、多くの人がそれを「アート建築」と呼んだ。 三宅は早くも、リテール(小売)の世界に訪れるであろう変化を予告していた。吉岡が三宅のために手がけた最後の仕事の一つ「Reality Lab」では、衣服が彫刻のようにディスプレーされ、縫い目やファスナー、織り目の背後に命が宿っているように見える。 「知り合ったときから最後の電話まで、私にとって彼の印象は、ただただ新しいものをつくることにのみ関心がある、というものでした」 それゆえ吉岡は、友からの最後の依頼になるであろうこの仕事を、非常に真剣に受け止めた。 「純粋でありながら力強いデザインでなければならないと考えました。シンプルで革新的な形を見つけるのは、非常に難しいことです。これを実現するため、透明なガラスと光を反射する金属素材を組み合わせることで、デザインに光の屈折と反射を取り込もうと決めました」 美術批評家は、吉岡徳仁を「時代を先取りする存在」だという。創造、技術、素材に挑戦する造形によって、彼は常に自分に挑もうとしている。吉岡の作品は無色で、そこには透明と白色が溢れている。 「特別にガラスが好きというわけではないのですが、 透明なものは最も良く光を通すと思うんです。そして、光を表現するには、光を屈折させる半透明の素材を通して表現する必要があります。それが、光を曲げる最良の方法だと私は思います」