フジ新人アナへの“容姿イジリ”に批判殺到…「差別狩り」を繰り返す世界に絶望が深まるワケ
つまり、戦時中の「非国民狩り」や、ちょっと前の「マスク警察」と基本的な構造はかわらない、「善意の日本人」による世直し運動というわけだ。 ● 「差別狩り」は世界を“もっとダメ”にする さて、そう聞くと、「世の中はギスギスした感じになるけれど、批判をすることで差別がなくなって、人権意識が高まるのだから社会にとってはいいことなのでは」と思う人もいらっしゃるかもしれない。 ただ、個人的には真逆だと思っている。今のまま「差別狩り」が進むと、社会が良くなるどころか、異なる価値観の人々同士が憎み合う悲惨な社会になると思っている。 例えば、日本人同士で凄まじい潰し合いや憎しみ合いが始まって国内の分断が深刻化するかもしれない。あるいは、国際社会からの「差別」の指摘に憤慨し、国際社会と敵対して「日本には日本のやり方がある」などと訴えてかつての戦争と同じように孤立を深めていくのだ。 バカバカしい妄想だと思うかもしれないが、実は人類の争いの多くは「差別」をめぐる争いがトリガーになっている、という動かし難い事実がある。
わかりやすいのは、1919年に日本が国際連盟規約に「人種差別撤廃」を定めようとしたときだ。 第1次世界大戦後のドイツとの講和条約を議定するために開催されたパリ講和会議で、日本の代表団は「人種的、宗教的な憎しみが紛争や戦争の源泉となってきた」と主張して粘り強く交渉した。 国際連盟規約の前文に「各国の平等及びその国民に対する公正待遇の原則を是認し」との文言を盛り込むよう提案したのだ。 もちろん、これは単に「日本スゴイ!」という美談ではない。南洋旧ドイツ領委任統治問題や山東問題で有利な条件を引き出す、駆け引きとして西側諸国を揺さぶる議題を出したという見方もある。 結局、出席者16名中11名の賛成を得たが、議長であるアメリカ大統領が「このような重要事項の決定には全会一致を要する」として、この提案は退けられた。 では、この後、日本国内の世論はどうなったかというと、アメリカや植民地を多く持つイギリスなどを「差別主義者」とみなして、それらの国への憎悪が盛り上がった。背景にはアメリカで排日移民法ができて反米感情が盛り上がり、日本人移民が冷遇されることなどがあった。