ラーメンは本店か支店か問題。それにしても、秋葉原の「青島食堂」は立派である!
日本初の料理評論家、山本益博さんはいま、ラーメンが「美味しい革命」の渦中にあると言います。長らくB級グルメとして愛されてきたラーメンは、ミシュランも認める一流の料理へと変貌を遂げつつあります。新時代に向けて群雄割拠する街のラーメン店を巨匠自らが実食リポートする連載です。 山本益博のラーメン革命!
私の本店ファースト主義は筋金入り⁉
ラーメンの本店と支店の話をする前に、お話したいフランス料理のエピソードがある。今から60年ほど前、1964年の東京オリンピックが開催された年に、銀座数寄屋橋交差点のソニービルの地下にパリの「マキシム」の支店がオープンした。地階にある駐車場から店内に入るとアールヌーヴォーの内装で、パリのコンコルド広場近くのロワイヤル通りにある「マキシム」の雰囲気そのままのレストランが再現されたと言われ、話題を呼んだ。 私が初めて銀座の「マキシム」へ出かけたのは、パリの本店を訪れた後の1975年で、どうしても、支店に出かけるまえに本店で食事したかった。はじめに支店に出かけてがっかりして、本店へ行く機会を失ってしまうのを避けたかったからである。
その後、80年代後半に、六本木のフランス料理店「イゾルデ」に、人気急上昇の料理人、ミシェル・ブラス氏がやってきた。「ミシュラン」では3つ星ではなかったが、対抗馬の「ゴエミヨ」では当時イチ推しの、フランスの田舎ライヨールにあるオーベルジュのシェフだった。 私は今度フランスへ出かけたら、絶対に出かけたいと思っていた一軒で、仲間から、六本木の「イゾルデ」での料理フェアに誘われたのだが、その時、きっぱりと断った。もし、「イゾルデ」でのミシェル・ブラスの印象がよくなかった時、ライヨールへでかける気持ちが萎えてしまうのではなかろうかと考えたからである。 その後、1990年にライヨールの「ミシェル・ブラス」へ出かけ、「ガルグイユ」という野菜料理に感動し「21世紀のフランス料理の扉を開く料理」というフレーズが浮かんだほどだった。 ことほど左様に「本店ファースト主義」が、今でも私の心の内を占領している。