風はなぜ変わったか?衆院選結果に見えるネット時代「排除」と「集団志向」
政治家こそ国難
そういった視点に立ったとき、これからの日本文化は、明治維新以来の「進歩発展」という西欧的な歴史観に寄り添うばかりではなく、かといって伝統的な価値に回帰するのでもなく、独自の受容力(異文化を受容する力)と免疫力(有害なものを排除する力)を発揮して、可変的選択的集団性の、融合と排除の力学を乗り切って行かなくてはならない。 小池都知事はカイロ大学の出身で、その乾燥の風土における政治感覚は、日本という湿潤の風土に合わない部分があったかもしれない。しかし今日この国に垂れ込める重い暗雲を払拭するような根底からの改革には、そういった外力ともいうべき力が必要であるような気もする。 ともあれ今回の選挙結果は、政治家の節操への審判であり、政治家の質そのものへの審判であった。議員の定数と報酬を削減すべきだろう。税金の無駄を減らす意味もあるが、その方が、質が高くなると思うからである。〇〇チルドレンはもう要らない。「身を切る改革」が必要だ。 安倍首相は、北朝鮮危機と少子高齢化を国難としたが、今の政治家のあり方こそが国難である。