「メジャーリーガーにしか見られない景色がある」マック鈴木が振り返るアメリカでの日々
名コーチの指導で才能が開花
翌1999年は波瀾の一年となった。渡米以来、初めて開幕をメジャーで迎えたものの6月にニューヨーク・メッツにトレードされ、その直後にはカンザスシティ・ロイヤルズへ移籍する。戦力補強に貪欲で、人的流動性の高いメジャーならではの出来事だった。そして新天地での新たな出会いがマックにとって幸いした。 「ロイヤルズのブレント・ストロームコーチが僕をすごく評価してくれました。グローブを持つ左手の位置をきちんと定めるフォームに修正したことで、格段にコントロールがよくなったんです。一つの問題がクリアできると、すべてのことがまとまってくる。このときは、そんなイメージでした」 当初、監督からは大きな期待をされていなかった。メジャーに残れるか、それとも落とされるか、当落線上にあったものの、期待の若手のアクシデントによりチャンスがもたらされ、マックはそれを逃さなかった。 「若手有望選手が脇腹を痛めて途中降板して、急遽、僕がマウンドに上がったんですけど、球速も大幅にアップし、3イニングで8奪三振。自分でも驚いたけど、球団はさらに驚いていました(笑)」 手薄な投手陣というチーム事情もマックにとって幸いした。’00年シーズンは開幕から先発ローテーションの仲間入りを果たし、序盤こそ中継ぎ降格となったものの、その後はシーズン終了までローテーションを守り続けた。 32試合8勝10敗──。 堂々たる成績でシーズンを終えた。メジャーリーガーとして胸を張っていい成績だ。 しかし、好結果とは裏腹に、この時点ですでにマックの右肩は悲鳴を上げていた。
リハビリを経て、個人的には幸先のいいスタートを切ったが…
「球団からは『すぐに検査しろ』と言われました。自分としては痛くても投げられるし、結果も出たから手術はしたくなかった。だけど、球団は『手術をしなければ契約はしない』ということで、2度目の内視鏡手術をすることにしました」 ’01年、開幕戦は敵地ヤンキースタジアムでのニューヨーク・ヤンキース戦と発表されていた。マックの照準はこの日に定められた。 「開幕戦で、あの伝統ある球場に立つことができる。絶対にこのチャンスは逃せない。そんな思いでリハビリに励みました。すでに一度経験しているから、どの程度までやっていいのか、やれるのかを理解していたことも大きかったですね」 残念ながら敵地の開幕戦での登板はならなかったが、続く本拠地開幕戦を託されたマックは、ミネソタ・ツインズを相手に勝利を飾る。 個人的には幸先のいいスタートを切った。しかし、チーム状態は悪く、シーズン序盤で恩師・ストロームコーチが解任されると、マックの運命にも暗雲が立ち込める。 「ストロームがクビになった翌日、先発からクローザーに任命されました。初回の防御率が高かったからです。でも、僕の場合は『6回3失点』を基準にしていたから、初回に2点取られてもいいや、という思いで投げていたので結果がよかっただけ。案の定、クローザーで結果を残すことはできなかったですね……」