亡き父との約束から9年…柔道・斉藤立の母が明かす、思春期の息子を“立派な柔道家”に育て上げるまで「兄弟ゲンカの仲裁に包丁を持つことも…」
一流アスリートの親はどう“天才”を育てたのか――NumberWeb特集『アスリート親子論』では、さまざまな競技で活躍するアスリートの原点に迫った記事を配信中。本稿は、パリ五輪・柔道男子100kg超級の代表に選ばれた斉藤立(たつる)(22歳)のエピソードです。亡き父に誓う、初の親子二代での金メダル……母・三恵子さんにここまでの歩みを訊いた。(全2回の2回目/前編から続く) 【画像】「めっちゃデカい」体重45キロの幼稚園児…“最強の遺伝子”を継承した重量級・斉藤立の少年時代を見る! 亡き父の形見、五輪ブレザーや色褪せた黒帯も(30枚超)
母のスマートフォンに残る、稽古映像
まさかの事態は、斉藤の全国少年柔道大会制覇から数カ月後に起こった。 2013年、父・仁さんが肝内胆管がんを患っていることが発覚。すでに手術を施すことができないほどの状態だった。母・三恵子さんは当時を振り返る。 「息子たちには早い段階で病気のことは伝えていました。『お父さんは絶対に治すから、お前たちは心配しなくてもいいよ』って。その後、かわいそうだからって2人には『お父さん、もう治ったから』と伝えていたんですけどね」 日に日に痩せていく仁さんの身体。110kgあった体重は80kgまで激減。それでも仁さんは時間が許す限り、柔道を教え続けた。自分の命を削るように、息子たちと向き合った。 「ひょっとしたらこれが最後になるかもしれない」 稽古の様子を映像に残そうと、三恵子さんは携帯電話で夫と息子を撮り続けた。 たとえ夫がいなくなっても、映像を通して、夫といつでも会えるように。息子たちが壁にぶち当たったり、何かに悩んだときに、大切なことに気付けるように。 9年が経った今も、その映像は三恵子さんのスマートフォンの中に大切に収められている。 当時、三恵子さんは病院と自宅を行き来する目まぐるしい日々を送っていた。徐々に仁さんの病状が悪化し、「昨日できていたことが今日できなくなっている」ことが増えていくなか、息子たちを遠征や合宿に行かせるかどうか、何度も躊躇ったという。 だが、「ここで行かせなかったとしても、主人は喜ばない」と三恵子さんは2人を稽古へと向かわせた。 「看護師さんに『覚悟されてください』と言われた日も、主人に『稽古休ませようか? 』と聞いたんです。そしたら息子たちに『稽古、行け』と一言。結局、それが最後の言葉になってしまいました」 仁さんの意識が次第に薄れゆく中、三恵子さんは仁さんに2人の子どもたちを「立派な柔道家に育てるから安心して」と強く誓った。その言葉が届いたのか、仁さんの目からは涙がこぼれていた。 身近な人を亡くすという経験のなかった斉藤からすれば、まだ事態をうまく飲み込めていなかったのかもしれない。それでも、父と最後の約束をした。 「私は覚えていないんですけど、耳は最後まで聞こえているよと伝えると、『絶対オリンピックに出る選手になるから。俺、金メダル獲るから』と約束したみたいで」 2015年1月20日。仁さんは54歳という若さで、静かに息を引き取った。斉藤が中学1年の冬のことだった。
【関連記事】
- 【前編から読む】「お母さん、早く離婚して」“厳しすぎる父”に思わずポロッと…柔道が大嫌いだった斉藤立の悪ガキ少年時代「母を悩ませた“最強の遺伝子”」
- 【画像】「めっちゃデカい」体重45キロの幼稚園児…“最強の遺伝子”を継承した重量級・斉藤立の少年時代を見る! 亡き父の形見、五輪ブレザーや色褪せた黒帯も(30枚超)
- 【名作】「父は家族だけの時に逝きました」 千代の富士が愛する夫人と過ごした“特別な晩年”…長男・秋元剛に聞く「千代の富士はどんな父親でしたか?」
- 【必読】「バイクとかパクってええけど、ちゃんと返せよ」辰吉丈一郎の“ナゾの教え”に「アカンやろ」…次男・寿以輝が明かす“辰吉家の超ポジティブ教育”
- 【驚き】両親&弟は東大、自身は「偏差値70超の進学校→早大」へ…競泳“パリ五輪代表”松本信歩を育てた教育方針「勉強はやらされ感がありました(笑)」