【川崎乳児殺人遺棄事件】「事件は自分の責任が大きい」…妊娠を誰にも相談せず1人で出産した女性の「元交際相手」の男性が語った後悔と決意
■「どうしよう」――おなかに感じた予期せぬ違和感
A子さんは高校中退後、頻繁に仕事を変えて生活する中、SNSでBさんと出会った。のちに赤ちゃんの父親となる男性だ。 2人はまもなく交際を開始。翌年には、東京に就職することになったBさんと川崎市で同居生活がはじまった。 同居生活がはじまる直前、A子さんはある異変を感じていた。生理が来なくなり、おなかが重く感じた。しばらくしてから感じるようになった胎動で妊娠していることを確信した。 「どうしよう」――これから社会人になるBさんに迷惑はかけられない。誰にも相談できなかった。自分が妊娠しているという事実に向き合うのが怖く検査もせず、病院にも行かないまま、おなかはどんどん大きくなった。 「なんでこんなことになったかと死にたくなった」「どうしようということばかりで頭が働かなかった」「ただひたすら動揺していました」(被告人質問より) 証言台に立ったA子さんは、時々涙を流し声を震わせながら、当時の心境をこう語ると、赤ちゃんへの謝罪を口にした。 「最低最悪なことをして申し訳ないという思いでいっぱい」「誰かに相談して適切な出産を考えてあげるべきだった」「毎日自分のやったことを後悔していてこれからも忘れることはありません」(被告人質問より)
■「罪に問われるかは別として責任は同じ」――赤ちゃんの父親の後悔と決意
法廷で後悔を語ったのは母親のA子さんだけではなかった。A子さんの当時の交際相手で赤ちゃんの父親のBさん(24)も法廷で後悔の気持ちを吐露した。 「事件はかなり自分の責任によるところが大きい。自分がしっかりしていれば防げた」「罪に問われるかどうかは別として、責任は同じくらいある」(証人尋問より) BさんはA子さんとの事件当時の関係について、「相談し合える関係性ではなかった」と振り返る。就職を間近に控え、余裕がなくなっていたというBさんは、A子さんに気を使えなかったという。ケンカのときも意見を言うのはBさんばかり。A子さんが自分の意見を言うことはなかった。 こうした関係性などからA子さんが「本心を外に出せなかったこと」が事件につながったと考えるBさんは、「もっと自分が(A子に)向き合っていれば、A子が自分に相談できていれば、自分の子は生きていたはず。A子と子供に申し訳ない」「A子が悩みや心配を正直に話せる環境を作っていきたい」と語った。 Bさんは、A子さんが悩みや不安を吐き出せる関係を構築しようと、A子さんと手紙のやりとりをはじめ、有給を取って毎月面会に駆けつけた。 幼少期からこじれていたA子さんと母親の関係性を改善しようと、面会にはA子さんの母親も誘った。気づくと、A子さんのもとには、日本語が得意ではないA子さんの母親が懸命に綴った手紙が届くようになった。 A子さんには、社会福祉関係者によって、更生に向けた支援計画が作られたが、関係者の証言によると、計画の策定にはBさんも参加。A子さんのこれからの生活について話し合ったといい、Bさんについて「福祉についての疑問を自身で調べるなど、真摯に取り組んでいた」と評価している。 Bさんは法廷でA子さんの性格について問われると、涙をこらえながらあるエピソードを語った。 「あるとき、2人で街を歩いていたときに、紫色のランドセルを持っていた小学生に出会いました。その子のランドセルを見ながらA子が、『今はいろんな色のランドセルがあるんだね。自分の子供には好きな色を背負わせてあげたいな』と。A子は子供に対して殺して良いと思う人間ではありません」 Bさんの話を聞いていた裁判員の中には目を赤くし、すすり泣く人もいた。2人は事件の約1年後に結婚。関係性は交際相手から夫婦に変わった。