【特集】全日空初代社長 美土路昌一を振り返る 夢と希望が広がるよう願いを込めて/岡山・津山市
1964年には、同社相談役に就任したが、朝日新聞社の内紛を鎮めるために、社長に迎えられ晩年まで多忙を極めた。
津山に滞在する時間は限られていたものの、亡くなる直前まで故郷の発展のために尽力。津山高校前の椿高下に自宅を構えたのも、母校の思い出と城跡がよく見えるという理由からだった。同年、津山市の名誉市民として表彰された。
現在、津山高校内には、美土路が寄贈したライト兄弟ゆかりの2本の松がある。これは日米修好100周年と日本の航空50年を前にアメリカから贈られた種から育てた苗木で、1964年に母校へ贈られたもの。当時小さな苗木だった松は大きく成長し、仰ぎ見ると目線がおのずと大空へ向かう。
「津山から世界へ羽ばたくことができる」と若者の夢を後押しするかのような存在として、これからも津山高校の地に立ち続けるだろう。
津山朝日新聞社