【山手線駅名ストーリー:原宿】若者文化の発信地も、かつては水車が回り、富士を望むのどかな田園地帯
表参道に善光寺があるって知ってた?
原宿駅には、最近まで山手線の他にホームがふたつあり、いずれも山手線の車窓から望むことができる名所だった。 ひとつは正月三が日、初詣客でホームが混雑するのを緩和する目的で備えた臨時ホームで、改札が明治神宮に直結していた。駅舎改築に伴い2020(令和2)年を最後に臨時ホームとしての役割を負え、山手線外回り電車のホームとなった。
もうひとつが皇室専用乗降場、通称「宮廷ホーム」である。山手線ホームから200メートルほど北東にあり、こちらは今も残っている。1925(大正14)年に完成し、昭和天皇は静養や公務で地方に列車で向かう際に、ここから乗車した。 宮廷ホームからの専用列車の運行には貨物線の線路を利用していたが、近年、山手貨物線は埼京線や湘南新宿ライン、成田エクスプレスなどの運行に使われ、ダイヤが過密化している。また、東北新幹線、上越新幹線などの開通で東京駅からの乗車が便利になったことから、2001(平成13)年を最後に宮廷ホームは利用されていない。改札に入る門も固く閉ざされている。 それでも廃止されないのは、国賓が地方に赴く際などに利用する可能性を宮内庁が示唆しているからだという(朝日新聞2010年8月31日)。 もうひとつ、知られざる仏閣を紹介しよう。表参道と青山通りの交差点裏手にある善光寺(港区北青山3丁目)は、長野の善光寺の別院である。創建は1601(慶長6/ただし当初は谷中にあった)年。表参道ヒルズから約280メートルの地に、400年以上の歴史を持つ古刹がある。 信州の本山から上人(住職)が江戸に来たときの宿泊所であり、上人はここから江戸城に出仕、将軍に拝謁したという。また、江戸城大奥の女性たちも帰依した由緒ある寺院でもあった(『山手線お江戸めぐり』安藤優一郎/潮出版社)。
ここには、幕末の蘭学者・高野長英(たかの・ちょうえい)の顕彰碑もある。シーボルトの門下生だった長英は時の幕府の海防政策を批判し、永牢(えいろう/終身禁固)に処された。いわゆる「蛮社の獄」(1839/天保10年)である。 長英はその後、脱獄し各地を転々とし、青山善光寺の近くに隠棲したが、1850(嘉永3)年、奉行所の役人に見つかり自害した。明治時代に入ってから長英の功績を讃える動きが起き、名誉は回復され、善光寺に碑が立てられた。碑に記された撰文を寄せたのは、勝海舟である。 最先端の流行を発信する原宿は、意外にも歴史に満ちた街である。