山あいの街からカープ支え続け…「庄原市カープ応援隊」発足20年 球団低迷期、指定席の一括購入を機に誕生
地域を挙げて広島東洋カープに声援を送る「庄原市カープ応援隊」が、誕生から今年で20年目を迎えた。球団が集客に苦しんだ低迷期、年間指定席をまとめて40席購入したのが始まり。遠く離れた庄原から球場までバスで応援団を送り続けた歩みを振り返り、カープと庄原が紡いできた絆を紹介する。 【写真】マツダスタジアムで声援を送る「庄原市カープ応援隊」の参加者=7月12日(応援隊提供) 庄原発のカープ応援の起点は2005年1月にさかのぼる。球界再編騒動でカープも存続が危ぶまれた頃。「球団をなくさんため球場に行って応援する仕組みができないか」。市観光協会会長だった塩本誠二さん(71)と副会長の藤光有さん(78)の何げない雑談だった。 2人はすぐに動く。訪ねたのは庄原が本社のバス会社「備北交通」。年間指定席40席分を購入し、庄原―旧広島市民球場(広島市中区)をバス送迎する案を持ちかけた。すると同社は、席を買う資金294万円の立て替えもしてくれた。 「トントン拍子に話が進み、そのシーズンに始められたのは、今思うと奇跡的。備北交通のおかげ」と口をそろえる。その年の開幕前、松田元オーナー(73)自らが感謝を伝えに庄原を訪れた。こうして市や庄原商工会議所などを中心とした官民の応援隊は誕生した。 05年は、市内の企業や個人協賛者から336万円の協力金を得て、シーズンの応援隊参加は延べ1675人。同社総務部長として実務を担った現会長の山根英徳さん(65)は「初年度は備北交通としては赤字。ただ、もうやめられないムードだった」と振り返る。 応援隊の合言葉は「市民球場を真っ赤に染めよう」。そろいの赤いジャンパーで外野指定席に陣取った。球場の外では、協力してくれた企業を支えようと、特産の菓子や野菜を販売して庄原のPRにも取り組んだ。 シーズンオフの翌06年2月、宮崎県日南市のキャンプ地を訪ね、比婆牛などを贈って激励する活動をスタートした。「右も左も分からんかった」と山根さん。球団に相談、交渉しながら、庄原のPR方法や応援スタイルを試行錯誤した。 マツダスタジアム(広島市南区)ができ、「カープ女子」などブームも到来して応援隊の参加者は17年に最多の延べ3744人を記録した。発足から昨季まで19年間で延べ4万5583人。自治振興区や職場単位でのエントリーもあり、当初思い描いた「地域ぐるみ」の応援を実現できた。 塩本さんと藤光さんは「市民は庄原から安心して応援に行けるし、球団側も喜んでくれる」と相互にメリットのある関係を強調。山根さんは「地域を挙げてカープを応援する初の仕組みをつくれたと思う」と胸を張る。
中国新聞社