「チャレンジへのワクワクのほうが強かった」大西真菜美がNBAアトランタ・ホークスのダンサーになるまで(前編)
強いメンタルは学生時代の成功体験から生まれた
チアリーダー、ダンサーを目指して渡米し、NBAアトランタ・ホークスのダンサーとして3年目のシーズンを過ごしている大西真菜美。言語やコロナ禍、活動資金などの壁をポジティブに乗り越えて夢をつかむまでの経緯について語ってもらった。 ──まずは自己紹介をお願いします。 大西です。兵庫県宝塚市出身です。子供の頃からバレエやダンスを経験し、高校進学時に経験を生かして新しいことにチャレンジしたいと思っていました。母のすすめで出会ったのがチアリーディングで、王者といわれている大阪の箕面自由学園高校に進学し、3年間毎日、朝から晩までチアのことを考え続ける生活を送っていました。 ――大学でも競技を続けられた。 はい。「大会で優勝しなければいけない」というプレッシャーもありましたが、毎日楽しかったので、立命館大学で競技を続けました。チアリーダーとしてバスケやアメフト、ラクロスなどの競技を応援しながら、自分たちの競技にも力を注ぎました。高校、大学でキャプテンを務め、高校では日本一になり、大学では世界大会の日本代表に選ばれ、チアリーディング男女混合チームで世界一を獲得しました。 ――大学卒業後はどうされたのですか? チアリーディングに関してやり残したことはないと思い、1度は引退を決意しました。ただ、人生の大半でダンスを踊り続けてきましたし、チアを始める前にはバスケットボールやテニスをプレーしていてずっとスポーツがそばにあったので、仕事だけの人生に物足りなさを感じて……。一念発起して、正社員として働きながらガンバ大阪のチアリーダーになりました。 大学までは人を担いだりするアクロバティックな『競技』に打ち込んできましたが、ガンバで求められるのは『チアダンス』という異なるジャンル。勉強し直そうとインスタグラムやYouTubeで調べるうちに、NFLのチアリーダーやNBAのダンサーが目に留まるようになり、さらに調べていくと、世界の広さを実感しました。日本のプロスポーツももちろんすごいんですけど、会場とエンターテインメントの規模が違う。「刺激が欲しい」と思って仕事を辞め、NFLのチアリーダーを目指して渡米しました。 ――成果はどうだったのでしょうか。 新型コロナの感染拡大の時期と重なり帰国せざるを得なくなってしまったので、「来年こそオーディションを受けよう」と決意して、滋賀レイクスターズ(現滋賀レイクス)に所属しました。Bリーグのチアリーダーの見せ方や技術などを学ばせていただきましたし、渡米資金のクラウドファンディングをPRしていただいたり、ブースターさんにもサポートしていただき…本当にお世話になりました。翌年、予定通りNFLを受験しましたがご縁がなく、NFLよりシーズン開幕が遅いNBAのオーディションで合格し、現在に至ります。 ――海外挑戦に語学力は必須です。英語は日本にいるころから準備していましたか? 最初にNFLを受験した時は「学校で勉強したし、現地に着いてからどうにかなるやろ」と、ノリと勢いだけで渡ったんですけど、うまくはいきませんでした(笑)。現地の英語は全然違いましたね。仲良くなった同僚に、ディレクターが話した内容を要約してもらったり、文字に起こしてもらったりして乗り切りましたが、「自力で聞き取れないといけない」と痛感して、帰国後はインターナショナルスクールで働き、英語を話す先生たちとのコミュニケーションで耳を慣らそうとしたんですが、なかなか苦労しましたね。 ――これまでにアメリカで活躍された方の話だと、行政などの手続きも大変だそうですね。 大変ですね。私は1度これと決めたらそのまま突き進んでしまうタイプで、1回目は10月末に行くと決めて2月に渡米したので、11月から2月までの短いスパンで推薦書を集めることになり…短期間でやるものではないと思いました(笑)。本来なら、準備に少なくても1年は必要だと思います。 ――海外へのチャレンジを決断するのは簡単なことではありません。挑戦するメンタルはどのようにして身についたと思いますか? 高校時代の経験が大きかったと思います。私の代はライバル校がすごく強くて、まわりから「優勝はできない」「やばいで?」とネガティブな言葉ばかり聞かされていました。でも、自分たちを信じて努力した結果、優勝できました。大学で日本代表に選ばれて世界一を取れたのも、みんなで「絶対優勝する」と言い続けた結果です。成功経験があったので、チャレンジすることへのワクワクのほうが強かったですね。