現在の「絹ごし豆腐」は偽物ばかり? 絹で濾してないのに! その原因はなんと「軍用機」に関係していた
戦前は絹布で濾していた絹ごし豆腐
絹ごし豆腐は、なぜ絹の布で濾(こ)さないのに「絹ごし」という名前なのか。 実は、第二次世界大戦前の絹ごし豆腐は、実際に絹の布で濾して作られていた。1903(明治36)年に中尾節蔵が著した『実用農産製造学』では、次のように説明されている。 【画像】「えぇぇぇぇ!」これが「自衛官の年収」だ! グラフで見る(8枚) 「俗に「絹漉し」と稱するものは、絹袋を以て濾過したるもの」 また、1914(大正3)年の東京書院編『大正営業便覧上巻』でも、次のように記されている。 「絹漉豆腐は槽の中に綿布を敷く代りに絹を敷いて製したもの」 ところが、第二次世界大戦以降、絹布で濾す絹ごし豆腐は姿を消してしまった。その背景には、戦時中の 「軍用機」 の生産が関係していたのだ。
戦前の豆乳凝固剤はにがり
日本の豆腐は伝統的に、製塩時に生じる「にがり」を豆乳の凝固剤として使用してきた。これは、中国北部の豆腐の製法が伝わったためと考えられている。 豆乳ににがりを入れると、上澄み液と凝固した沈殿物に分かれる。この柔らかい沈殿物を ・汲(く)み豆腐 ・おぼろ豆腐 というのだが、プラスチック容器のない時代では、柔らかい汲み豆腐は売りにくい。そこで汲み豆腐から水分を抜いて直方体に固めて売るのだが、脱水する際に使うのが木綿と絹の布。 直方体の木製の箱の側面に穴をたくさん開け、その穴から汲み豆腐が漏れ出さないように布袋を敷き、汲み豆腐を布袋に流し込み、落としぶたと重しを上に載せる。そうすると水分が布目と木の穴から絞り出され、固い豆腐となるのだ。 この布袋として、木綿よりきめ細かい絹を使うと、表面が滑らかで、より水分を多く含んだ柔らかい豆腐ができる。こうして作られた絹ごし豆腐は、木綿豆腐よりも「上等」な豆腐とされていた。 「絹漉は絹の袋で濾して拵へた上等の豆腐です」(服部七郎『食通の喜ぶ豆腐と玉子の珍料理』)
軍用機生産に使われたにがり
ところが第二次世界大戦がはじまると、凝固剤であるにがりが使えなくなる。にがりが 「軍用機生産」 向けに優先的に供給されたからだ(市野尚子 竹井恵美子「東アジアの豆腐づくり」『論集 東アジアの食事文化』所収)(高橋勝美「製造技術の変遷から見た豆腐の一〇〇年」『生活学〈第25冊〉食の一〇〇年』所収)。 第二次世界大戦時の軍用機は、軽量で丈夫なジュラルミンという合金を使っていた。ジュラルミンは、アルミに少量の銅と微量のマグネシウムを混ぜることで、アルミ並みの軽量さと、アルミをしのぐ硬さを両方もちあわせる、飛行機に最適な合金。 にがりには海水由来の塩化マグネシウムが含まれていた。なので、にがりの多くは 「ジュラルミン製造」 に用いられるようになり、豆腐店が使用できなくなったのである。 豆腐店がにがりの代わりに使うようになった凝固剤が、石こう(硫酸カルシウム)。中国南部で伝統的に使われてきた豆乳の凝固剤だ。 硫酸カルシウムを豆乳に混ぜると、にがりとは異なる反応を見せる。にがりを使うと上澄み液と汲み豆腐に分離するが、硫酸カルシウムを使うと、ゼリーや寒天のように、分離せずに全体がゆっくりと固まっていくのである。 つまり汲み豆腐のように、布袋で包んで穴開きの木箱に入れて重しをし水分を抜かなくとも、寒天で固めるようかんのように豆腐ができてしまうのである。木綿や絹の布袋を使用する必要がなくなったのだ。