袴田さん58年訴えた「無罪」なるか(上) 9月26日判決、長年死刑におびえ拘禁反応今も
袴田巌さん、88歳。1966年に静岡県で一家4人が殺害された事件で犯人とされて裁判にかけられ、1980年に死刑が確定した。その後も無実を訴えながら長い時間を獄中で過ごし、2014年にようやく釈放された。 【写真】面会室に現れた袴田さんは「きのう、処刑があった。隣の部屋の人だ」と興奮気味に… この日を境に、言動がおかしくなっていく。袴田さんは拘置所で、恐怖の中、精神をむしばまれた。死刑が執行停止になるまで(前編)
その裁判をやり直す「再審」が、2023~24年にかけて静岡地方裁判所で行われた。判決は9月26日午後2時から言い渡される。 事件から58年。死刑を執行される恐怖に脅えながら冤罪を訴え続けてきた。長い闘いに、終止符は打たれるのか。(共同通信=柳沢希望、大石亮太、柿沼亜里沙) ▽取り調べ、裁判…刑事司法の課題あらわ 袴田さんの再審公判で、弁護側は怒りをにじませた。「裁かれるべきは警察、検察、弁護人、裁判官。信じがたいほどひどい冤罪を生み出した司法制度だ」 弁護士たちもその一翼を担っている、司法制度への激しい批判。その背景には、取り調べから再審に至るまでの長いプロセスのあちこちに潜む、刑事司法を巡る問題がある。袴田さんの歩みは、戦後の司法制度の暗部や矛盾の歴史でもあった。静岡地裁の再審判決が、これらの問題に踏み込むのかどうか、注目される。 事件は1966年6月、みそ製造会社専務宅で発生した。逮捕された袴田さんは容疑を否認したが、苛烈な取り調べは長時間に及び、やがて「自白」に追い込まれた。録音テープには袴田さんをトイレに行かせず、取り調べを続ける様子が記録されている。「過去の出来事」(捜査関係者)との声もあるが、現在も問題のある取り調べはなくなっていない。
袴田さんは1966年11月、静岡地裁の初公判で無罪を主張した。検察は公判が始まった当初、袴田さんがパジャマ姿で犯行に及んだとしていたが、事件から約1年2カ月後、みそ工場のみそタンクから見つかった血痕付きのズボンなど「5点の衣類」が犯行時の服装だったと説明を変えた。地裁はその説明を認め、死刑を言い渡した。 二審・東京高裁の審理では、見つかったズボンは袴田さんがはけないサイズだということが分かったが、高裁も死刑判決を支持した。袴田さんはさらに最高裁に上告したが判断は変わらず、1980年、刑が確定した。 袴田さんは翌1981年、裁判のやり直しを求めて再審請求した。弁護側は、無罪につながる証拠が捜査機関にあるとみて開示を求めた。だが、証拠開示についての定めは刑事訴訟法にない。検察は当然、弁護側の求めに応じなかった。 だがその後、2008年に申し立てた第2次再審請求で状況が大きく変わる。検察は裁判所の勧告を受け、約600点を開示した。その中に、取り調べ時の録音テープや5点の衣類のカラー写真が含まれていたのだ。弁護団の小川秀世弁護士は「重大な証拠が隠されていた」と憤る。