【光る君へ】彰子の出産記録の合間に笑い話も…… 紫式部が書き残した道長や同僚女房らの様子とは?
NHK大河ドラマ『光る君へ』第36回「待ち望まれた日」では、いよいよ中宮彰子(演:見上愛)が一条天皇(演:塩野瑛久)の子を出産した。出産という一大イベントに際し、まひろ(藤式部/演:吉高由里子)らもひたすら無事生まれることを祈る。この時の一部始終を事細かに知ることができる理由のひとつには、当時紫式部が書き残した『紫式部日記』での詳細な記述があるからだ。今回は彼女たち女房がどのように過ごしていたかを『紫式部日記』からご紹介する。 ■紫式部が担った中宮彰子の出産記録 寛弘5年(1008)9月11日、中宮彰子は待望の皇子を出産します。入内から九年、彰子は21歳になっていました。一条天皇の許に入内したのは12歳の若さでしたから、彰子の父の道長もさすがにすぐには子宝に恵まれるとは思ってはいなかったでしょう。しかし肉体的な成長に従って、年々やきもきする思いはつのったことが想像されます。この時代、権力の保持のためには、将来の天皇の外戚になることは必須条件でした。前年の、寛弘4年に行われた大掛かりな御嶽詣(みたけもうで)は、彰子の妊娠を祈願するものでした。 彰子は実家の道長の邸宅・土御門殿で出産しました。現在の京都御苑のあたりです。京都御苑を訪れた際には、思いを馳せてみてください。出産前には当時勅命(天皇の命令)がないとできなかった五壇の御修法という大掛かりな祈禱が行われるなど、まさに国家的なイベントでした。 ところで、私たちはこの彰子のお産の状況を詳しく知ることができます。なぜなら、紫式部が『紫式部日記』という作品の中で書き記しているからです。このような記録が書かれたのは、道長の依頼があったためではないかとする説があります。確かに、『源氏物語』と同様に、『紫式部日記』も道長がプロデュースして書かせたという見方には説得力があるでしょう。当時は先例を重んじる時代でした。道長家での皇子誕生という慶事をめぐって、特に女性方の記録は、これからも続くだろう道長の娘達のお産の吉例として、重要な意味を持っていたはずです。そのような大事な記録を任された、紫式部の名声は紛れもなく『源氏物語』の評価によるものだったでしょう。 彰子の出産は難産となりました。この時代出産で命を落とす母体は多く、周囲の人々は気が気でなかったはずです。9月10日にはお産の場として、寝殿の中央の母屋に白木(白は邪気を払うとされ、当時お産の場は白一色にされました)の御帳台が準備されましたが、出産の兆候はなく、11日の暁には、御障子を二間分取り外して、母屋から北側の狭い北廂に移りました。御簾などをかけることができず、几帳を幾重にも重ねて、中宮のお姿を隠したのです。難産ゆえに、占いを行ったところ、そのような卦が出たための緊急避難的な処置でした。 『紫式部日記』には次のように書かれています。 こんなに人が多くたてこんだ状態では、中宮さまのご気分もいっそう苦しくていらっしゃるだろうということで、道長さまは女房達を南面の間や東面の間にお出しになられて、お側にいなければならない、主だった者だけが、この二間のところの中宮さまのお側に控えている。道長さまの北の方倫子さま、内裏の命婦が御几帳の中に、それに仁和寺の僧都の君や三井寺の内供の君も、御几帳の中にお呼び入れになった。道長さまが万事に声高くお指図なさるお声に、僧の読経の声も圧倒されて鳴りをしずめたようだ。 もう一間に伺候している人々は、大 納言の君、小少将の君、宮の内侍、弁の内侍、中務の君、大輔の命婦、それに大式部のおもと、この人は道長さまの宣旨女房である。いずれも長年お仕えしている方々ばかりで、心配のあまりみなとり乱して嘆いている様子はまことにもっともなことだが、私は、この方々に比べれば、まだ中宮さまにお仕えして間もないのだけれど、まったく他に例がないほど大変なことだと私は心ひそかに思っていた。 中宮が気詰まりだろうと気遣った道長は、北廂にいた女房達に指示して、南面や東面に移動させます。しかるべき人達だけが中宮彰子の近くに残りました。産所に残ったのは、彰子の母である倫子、彰子付きのトップクラスの女房である宰相の君、この人は道長の異母兄道綱の娘で、『蜻蛉日記』作者・藤原道綱母の孫です。そして、続いて記された内蔵の命婦は道長家の女房で、倫子の生んだ教通の乳母でした。 御几帳の中には、倫子の異母兄の定澄(仁和寺の僧都の君)、倫子の甥の永円(三井寺の内供の君)といった身内の僧達が招き入れられました。几帳の外では、道長が陣頭指揮をしていて、その大声に僧の声もかき消されるようだったと紫式部は記しています。『源氏物語』葵巻で、葵上が出産する際に、六条御息所の生霊が現われたように、この時代、出産に際して、物の怪が現われ、母体を攻撃し、出産を邪魔すると信じられていました。道長が圧倒的な声量で指示をしていたのは、物の怪を撃退するためでもあったのです。 その次の間にいたのが、大納言の君、小少将の君、宮の内侍、弁の内侍、中務の君、大輔の命婦、大式部のおもと、といった女房達です。大納言の君、小少将の君は紫式部と歌を交わすなど友人関係にありました。倫子の姪で、上臈の女房でした。最後の、大式部のおもとは道長付きの女房だったようですが、それ以外は、長年、彰子に仕える、いずれも重い立場の女房でした。 そこに紫式部もいました。女房達の中では、相当に篤い待遇であると言えます。紫式部はいずれも年功を積んだ女房達に囲まれながら、まだ仕えて年が浅いにもかかわらず、このような場にいることを謙遜し、主人のことを案じています。