新聞・テレビはなぜ「役に立たない」と見なされるのか?選挙期間中にこそ高まる政治への関心、なのに報道は抑制的に
■ 放送事業者は検討だけを続けている 兵庫県知事選が全国的に、そしてネットでよく見られ、読まれることを「知っていた」。少なくない新聞紙面で知事選の結果は1️面はいうに及ばず、複数面で特集されたし、テレビも全国で大きく取り上げた。 マスメディアはずるい。そうでありながら、分析はともかくとして取材は分厚く行ったのだろうか。 少なくとも複数の全国紙、在京キー局の幾つかはそうではなかったことを聞いた。東京から支援の記者を投入したりすることはなく、新聞社の場合は在阪中心に少し手厚く取材しただけ。テレビの場合は系列在阪局取材中心という「いつもの知事選」の範疇を出ない取材体制であった。 「選挙運動前のテレビは連日連夜斎藤氏を批判していた」というナラティブも、おそらくは「意図」によるものではない。そもそも各番組の内容はある程度は共有されるが、ある程度は独立していて、キャンペーン報道を行う習慣は日本のテレビ業界にはほとんどない。 考えられるのは朝、昼、夕、それぞれ別の情報番組における「素材」の使いまわしである(在京、在阪局を念頭に置くなら、それらは系列の別の局が制作している番組だったりする)。 筆者は15年近く、ほそぼそと各局でテレビコメンテーターなども務めてきた。テレビ局のデータベースには映像と記事が収められており、各番組でそれらを使用してベースになる項目と構成を作成し、頻繁に素材の使い回しを行う。 また訴訟リスクの観点で、コメンテーターはさておくとして(コメンテーターやMCもある程度慣れている場合には断言を避けることが身体化している)、局のアナウンサーや司会が司法などで確定していない事実を断言することはやはりほとんどと言ってよいほどない。 それゆえに「選挙運動前のテレビは連日連夜斎藤氏を批判していた」というナラティブは、あまりテレビを見る習慣はない人の「テレビの印象」に思われる。 「既得権益」に見えているものはそれだけのことかもしれないし、見方を変えれば、たったこれだけのことで「既得権益」と受け止められてしまうのだが、放送事業者の多くはこうした問題を真剣に検討したことがないか、検討だけを続けている。 そこに悪気はないが、先見の明も特にないというのが筆者の見立てである。 >>「放送法も公選法も「選挙報道を抑制せよ」なんて言っていない、新聞・テレビの創意工夫に欠ける姿勢こそ深刻な課題だ」へ続く(2024年11月23日公開予定)
西田 亮介