「次は自分の番だと分かっていた」現場にいた元兵士が聞いた、ジョーンズタウン集団自殺の真実
1978年11月18日、ジム・ジョーンズ率いるカルト集団「人民寺院」の信者918人が、南米ガイアナのジョーンズタウンで死亡した。911同時多発テロ事件が起きるまで、単独の事件で意図的に民間人が殺害されたのはこれが最多だった。事件が報道され始めた当初は、教祖から指示された信者が自らの意思でシアン化合物入りの清涼飲料水を飲んだ「集団自殺」として報じられていた。 【閲覧注意】ドロドロの臓器でいっぱいだった地下室 だが事件の詳細はずっと複雑だ――失敗に終わるユートピア共同体が1974年に建設された後のジョーンズタウンの暮らしも、また複雑だ。 以来、ポップカルチャーでは被害者へ責任転嫁する傾向が徐々に薄れてはいるものの、今でもジョーンズタウンは大勢が同意の上で自殺した場所と見られている。だが3部構成の新作ドキュメンタリー『Cult Massacre: One Day in Jonestown』(Huluでは6月17日より、Nat Geoでは8月14日より配信スタート)は、まるで違った角度から事件を描いている。 資本主義や人種差別から隔絶した隠れ家としてコミューンが建設されてから、殺害された遺体が米国に輸送されるまで、事件前後および当日のコミューンの内情が、アーカイブ映像や音声、目撃者および生存者とのインタビューを通じて明らかになる。 900人以上が死亡する数時間前には、信者の虐待疑惑の調査でジョーンズタウンを訪れていたレオ・ライアン下院議員(サンフランシスコ州選出)、3人のジャーナリスト、人民寺院の元信者1人が、コミューンから数マイル離れたポート・カイトゥマの滑走路で奇襲に遭い、射殺された。同行者数人もケガを負ったが、死んだふりをしたり、小型機ツイン・オッターの車輪に身を潜めるなどして命はとりとめた。 最終的に複雑で共感を呼ぶドキュメンタリーは、人々がなぜ人民寺院のようなカルトに入信したのか、そもそもガイアナのジャングルに移り住んだのはなぜかを解明し、事件を集団自殺ではなく大量殺人として扱うべきだと主張する。 大勢の命が奪われた後、ジョーンズタウンの現場に急行した3人の米軍兵士の1人がデヴィッド・ネッターヴィル退役大将だ。同氏もこうした主張を裏付ける。当時曹長だったネッターヴィル氏は「アメリカ空軍特殊作戦師団」で戦闘管制員を務めていた。これは複数の軍部門と連携して特殊作戦を遂行する高度な技術を備えた精鋭集団で、陸軍グリーンベレーやレンジャー部隊、海軍シールズに相当する。ガイアナのジャングルに向かった際、ネッターヴィル氏は入隊して5年が経過していた。 ジョーンズタウンを題材にしたドキュメンタリーは余るほどあるが、ネッターヴィル氏が体験談を語るのは今回が初めてだ。ローリングストーン誌は先日同氏とインタビューし、ジョーンズタウンでの体験や、今になって口を開いた理由、46年近く経過した今も謎に包まれた点などを伺った。 ージョーンズタウンへの任務を受けた際はどちらに駐留していたのですか? パナマのハワード空軍基地で、10人編成の戦闘管制チームに所属していました。1977年からです。ジャングルを偵察しながらゲリラ戦法を学び、通信訓練を度々行っていました。当時空軍にはこうした部隊が全部で12ありました。中南米を担当していたのは我々のチームだけです。 1977~78年、ニカラグアではサンディニスタ民族解放戦線がソモサ独裁政権の転覆を図っていました。(ジョーンズタウンの任務を受けた際のは)いつ招集がかかってもすぐニカラグアに飛んで米国大使館職員の救出および脱出ができるよう、2~3カ月間待機していた時期でした――実際、翌年の1979年に救出作戦を行いました。 ーガイアナ行きを知った経緯を教えていただけますか? (1978年)11月19日、日曜の朝7時30分に電話が鳴りました。緊急電話でしたが、寝ていたのでぐずぐずしていました。ようやく受話器を取ると、下士官のアルヴィン・ハドルストン一等曹長からでした。「荷物をまとめて、造兵廠から武器と無線、バッテリー、水、野戦食を調達し、ジープに積み込んでくれ。直ちにC-130(軍用輸送機)に搭乗して出発だ」と言われました。 ーガイアナに行く以前は、ジム・ジョーンズや人民寺院についてご存じでしたか? いいえ、寺院のこともジョーンズ氏についても知りませんでした。すでにパナマ生活も1年強でしたからね。アメリカ本国の状況には疎くなるんです。 ー行き先を知らされたのはいつですか? その日の朝、ニカラグアに行くのかとハドルストン曹長に尋ねました。機密任務なので行先は明かせない、離陸したら詳しいことが分かるだろうと言われました。離陸したのは(午後)12時30分ごろで、私はハワード基地からどちらの方向に進んでいるのか確かめようとしました。北のニカラグアではなく、東に向かっていました。 1時間後、マイク・マッセンゲイル大尉からガイアナに向かうと告げられました。私はハドルソン曹長とダルトン曹長に向かって、「ガイアナ? ガイアナってどこだ?」と言いました。 ガイアナにヒッピーのコミューンがあって、そこで大量殺人が行われたらしい、仲間同士で銃を打ち合っているようだという話でした。おそらく1000人弱がいるものと思われていました。私は同僚2人に向かって、「こちらは3人、向こうは1000人少々。こいつは大変な任務になりそうだ」と言いました。 すると機長から、ベネズエラのカラカスに着陸して燃料補給すると言われました。でも離陸してまだ2時間しか経っていませんでしたし、C-130機は10時間近く飛行可能です。何人か拾って、一緒にガイアナに向かうのだと言われました。 同乗者はみな仕立てのいいスーツを着ていました。私は挨拶して、相手が何者か確かめようとしました。するとハドルストン曹長から「やめろ、奴らにかまうな。放っておけ。俺たちはおよびじゃない」と言われました。私は気になって、彼らの正体を尋ねました。曹長は別の政府機関――おそらくCIAの人間だろうと言いました。 いずれにしても、私は歩み寄っていくつか質問してみました。すると開口一番、「君たちは知る必要はない」と言われました。あちらの常套句ですね。