「次は自分の番だと分かっていた」現場にいた元兵士が聞いた、ジョーンズタウン集団自殺の真実
とにかく信じられない光景でした――地獄絵です
ー最終的に着陸したのはガイアナのどの辺りですか? 奴さんたちが乗り込むとすぐにカラカスを離陸し、ジョージタウンの国際空港へと向かいました。ジープやトレーラーや軍装備品を降ろした後は、滑走路に座っていました。出迎えはなく、情報もなく、辺りには電話も見当たりませんでした。何もなしです。 着陸した時、(ジョージタウンの空港には)空軍のC-141緊急搬送機がありました。(前日のポート・カイトゥマ銃撃事件の)負傷者が搭乗していて、ライアン議員の側近のジャッキー・スペアー氏もいました。また本国に輸送する遺体も運び込まれていました。(緊急搬送機の)責任者から情報を聞き出そうとしましたが、誰も何も知りませんでした。 C-130機の機長が駐機場へ向かい、燃料を補給した後、操縦室から出てきて口を開きました。「自分はパナマに戻る――君たちがこの後どうするかは分からない」。 我々3人はその場に座っているしかありませんでした。ようやくアメリカ大使館から国務省の職員がやってきて、何者かと尋ねました。我々が来るのを知らなかったのです。我々が自己紹介をすると、「ということは無線付きジープがあるんですね? よかった、それは使える。ここから離れないでください」。そう言うと、職員は電話をかけに立ち去りました。 最終的に国務省の職員が戻ってくると、我々はジープを格納庫に収容しました。ジョージタウンの中心地にある職員の家で一晩過ごし、ジョージタウンへ向かう方法を話し合いました。翌朝アメリカ大使館に向かい、内部報告を受けました。ジム・ジョーダンの写真を見せられ、この男を探すよう言われました。 ーそれからポート・カイトゥマに飛んだのですね? 大使館は双発機セスナ340をチャーターしていました。1時間15分かけてポート・カイトゥマへ向かいました。滑走路と言っても、ジョーンズタウンから8~10マイルほど離れた汚い砂利の1本道です。 到着すると、ツイン・オッターの機体が突き出しているのが見えました。ガイアナ陸軍の兵士数人が出迎えました。しばらくしてガイアナ陸軍のヘリが到着しましたが、(搭乗していた兵士は)我々が同乗することを知らされていませんでした。これからジョーンズタウンに向かって事情を探るつもりだと告げると、同乗を許可してくれました。 とにかく信じられない光景でした――地獄絵です。地上に横たわる人の数といったら。 最初に約5マイルほど離れたところから見た時は、2~3エーカーほどの敷地のいたるところにシャツやら何やら色とりどりの衣類が広げられているいるように見えました。「見ろよ、あそこは服だらけだ。きっと洗濯したんだろう」と私は言いました。あんなにたくさんの服が散らばっているのは見たことがありません。近づいてみると、服ではなく――人間だということに気づきました。遺体だったんです。 敷地内のソフトボール場に着陸し、機体を降り、生存者の捜索を始めました。生存者がいるはずだと聞かされていましたが、最初の現地捜索では見つかりませんでした。 ーその後、生存者は見つかりましたか? ポート・カイトゥマに戻って、小学校の校舎でガイアナ軍の兵士と一夜を明かしました。その間に1人の男が校舎に入ってきました。たしか名前はオデル・ローズで、本人はコミューンの専属医師だと言っていました。ジム・ジョーンズが信者にシアン化合物を注射した際、診療小屋から聴診器を取ってきて死んだことを確認するよう命じられたため、生き延びることができたそうです。 そのオデルが言うには、「実をいうと、次は自分の番だと分かっていた。それで診療所で身を潜め、裏口から外に出て逃げた。ジャングルの中で過ごし、線路を辿ってポート・カイトゥマまで戻って来た」。 結局彼は我々とともに一晩、小学校の校舎の床に寝て過ごし、翌朝出ていきました――輸送機が到着するとあっという間に連れていかれました。それきり彼の姿は見ていません。 我々が滑走路にいると、別の人物に遭遇しました。1人の男と娘2人がジャングルにいました。ジャングルから出てきた男は、我々の姿を目にすると一目散にジャングルに駆け戻りました。男が再び姿を現すと、私は叫びました。「ヘイ、こっちへおいで! 話がしたいんだ! 我々はアメリカ空軍だ!」。男はまたジャングルへ駆け戻り、木の影に隠れました。 男はようやくジャングルから出て、我々の方に歩み寄り、自己紹介をして、水はあるかと尋ねました。ほぼ2晩ジャングルで過ごしていたそうです。「ああ、水ならあるよ。腹は減ってるか? 食料もあるぞ」と私は言いました。すると男は安心しましたが、武器やら何やらのせいでまだ警戒していました。ただただ死ぬのが怖かったんです。何しろ撃ち合いや殺人を目撃したんですから。 いったん我々を信用すると、男はジャングルに戻って10代の娘2人を連れてきました。我々は親子に野戦食を与えました。3人が経験した傷の深さがひしひしと伝わってきました。ほどなくして別の輸送機が到着し、3人を乗せて飛び立っていきました。話を聞くチャンスはほとんどありませんでした。 その日、我々は前日と同じヘリで再びジョーンズタウンに向かいました。 ー戻った時のジョーンズタウンはどんな様子でしたか? とても蒸し暑い日でした。でも真水がありましたよ。ジョーンズタウンにはアルトワ式の井戸があって、蛇口から水が出るようになっていたんです。翌日空軍から軍医が1人派遣され、水が飲めるかどうか検査し、安全が確認されました。すごく冷たくて、とても助かりました。 ひょっとしたら命を取り留めた人がいるかもしれないと、生存者の捜索を続けました。ジャングルとの境界付近を歩き、折に触れて「誰かいますか? 聞こえますか?」と叫びました。返答はありませんでした。 ダルトン曹長が、小さな木造家屋にあるベッドの数を数えればここにいた人数がわかるのではと思いつきました。それで数えてみたところ、1000床近くありました。 我々が現地にいた際、ガイアナ陸軍の軍医総監を乗せた別のヘリが到着しました。私は軍医総監をジム・ジョーンズのところへ案内しました。そばにはクールエイドのバケツがありました――グレープ味で、シアン化合物などが混入していました。総監はその場でジム・ジョーンズの検視解剖を行いました。 総監は検視をしながら、我々3人の任務を尋ねました。遺体をどうにかしなければならないと総監は言いました。「ブルドーザー2台とトラクター数台がガレージにあったようだ。あなた方がやるべきことは、巨大な穴を掘って、遺体を全部そこに置き、石灰をかぶせて集団墓地を作ることだ」。 というのも、このころにはすでに遺体は膨張し始め、悪臭を放っていたんです。 総監からはマスクの着用を強く勧められました。 マスクは持参していなかったので、応急措置として枕カバーを引っ張り出し、カウボーイよろしくバンダナ状に裁断して、その後ずっと巻いていました。毎朝オールドスパイスのアフターシェイブに浸しました。いまだにオールドスパイスの匂いは耐えられません。あの匂いを嗅ぐと吐き気をもよおします。