上田誠仁コラム雲外蒼天/第52回「師走の空に輝く星たち~故・横溝三郎氏との会話から~」
興味深い話のキャッチボール
その後、87年の日本テレビの完全生中継が始まる年に山梨学大も創部2年目で初出場。以後88年(64回)から2006年(82回)までは日本テレビの中継をとおして、解説者としてレースを見守っていただき、適切な解説を多くしていただいた。 私以上に関わりが深く、親交があった方がおられる。横溝氏と同じ学年で、東農大で箱根駅伝を4回走った秋山勉氏だ。秋山氏は山梨県甲府市在住であり、私が香川から山梨に来るきっかけを作っていただいた方である。さらに山梨学大創部時から顧問として私たちを支えていただいてきた。 お互いが戦中・戦後の激動の時代を生き、戦後復興の時代に箱根路を駆けた者同士ということで親交があり、たびたび秋山宅を訪れていた。そのような縁もあり、親しく話す機会をたびたび得ることができた。 箱根駅伝の時代背景やその時代のご苦労、そして指導者として選手とどう向き合ってゆくのかなど、興味深い話のキャッチボールだった。まさに箱根駅伝中継時に放映される今昔物語をリアルタイムに聞けるかのような楽しさがあった。 大正時代に始まった箱根駅伝は100回を超える開催ともなると、開催当時の時代を昔話として当事者からお話を聞くことはほぼ不可能と思える。戦中戦後を生き、その後の時代を駆け抜けた方も今は80歳~90歳となっている。 私が1985年~2019年まで34年間駅伝監督として指導してこられたのも、今年の3月までの10年間、関東学生陸上競技連盟で駅伝対策委員長として箱根駅伝などに携わらせていただいたことも、過去を知る機会に恵まれたからこそではないかと我が身を振り返った。 このような思いを横溝氏の生前に、直接語ることができなかったことが悔やまれる。 横溝氏とこのような会話をしたことを思い出した。 「上田さん、夜空の星を英語でなんて言うの?」と聞かれたので、「スターです」と返答すると、横溝氏は「どの星がスターなの?」となぞかけのように聞き返してきた。 この話の流れは箱根駅伝を走るすべての学生ランナーたちや、走ることがかなわなかった部員たちにとっての箱根駅伝とはどういうものか――と、秋山氏を交えて談義した時であった。話の真意は “夜空に瞬く星たちは箱根駅伝を目指すすべてのランナーであり、箱根駅伝にかかわったすべての人たちなんだよ”という意味で私は受け止めた。 そのような思いで箱根路を駆け抜け、世界と勝負し、箱根駅伝を慈しむ解説に終始した足跡に敬意を表しつつ、新年を迎える師走の空に輝く星に向かい手を合わせたい。合掌。 上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。
月陸編集部