「ヒップホップ・ジャパンの時代」Vol.1──連載のはじめに
日本のヒップホップ・シーンの盛り上がりを伝える短期連載がスタート! 第1回は、ヒップホップ・ライターのみならず、ラジオパーソナリティやイベントMCなどで活躍する渡辺志保が現在のシーンを総括する。 【写真の記事を読む】新連載がスタート!
ヒップホップ・ジャパンの時代
ブルックリンが産んだ偉大なラッパー、ザ・ノトーリアス・B.I.G.(通称ビギー)が1994年に発表した人気曲、「Juicy」の一節にこんな歌詞がある。 “You never thought that hip-hop would take it this far” ―ヒップホップがこんなに盛り上がるなんて、想像したことあるか? 昨今の日本でのヒップホップ・カルチャーの盛り上がりを見るにつけ、ビギーのこのフレーズが何度も脳内に浮かんでくる。若いラップ・グループが東京ドームを埋めるなんて。3万人もの観客が集うヒップホップ・フェスが開催されるなんて。チャートの上位にラップの楽曲がランクインするなんて。国民的音楽番組にラッパーたちが出演するなんて──。 実際に現実になっているこうした事象は、長年、日本のヒップホップ・シーンを見続けてきた大人たちにとっては念願の光景である一方、まさにここ数年の間にヒップホップに触れ始めた若者にとっては、逆に普通の光景なのかもしれない。彼らの生活のすぐそばには、意識せずともすでにヒップホップがある。 特にこの10年あまり、日本のヒップホップ・シーンはこれまで以上に目まぐるしく変化、そして前進してきた。2012年、KOHHがミックステープ『YELLOW T△PE』でデビュ―したのと同年にテレビ番組「BAZOOKA!!! 高校生RAP選手権」がスタートし、2015年には地上波で「フリースタイルダンジョン」(テレビ朝日)が放送開始となった。2017年には「ラップスタア誕生!」(ABEMA)がスタート。日本中のラッパーたちをフリースタイルで戦わせて序列を作り、一方では若手のラッパーの中から誰もが認める“スター”を世に送り出すというある種のテンプレートが広まっていったと同時に、プレイヤーもリスナーも倍々ゲームのように増えていく。実際に20代のラッパーに取材すると「中学生の時に見たT-Pablowの姿に憧れて」と、ラッパーを志したきっかけを語るケースも少なくない。 2015年にApple Musicが、2016年にはSpotifyが日本に上陸し、サブスクリプション形式の音楽サービスが広まったことも、国内のヒップホップ・シーンにとっては追い風となった。これまでとは異なり、アーティストたちは特定のレーベルや事務所に所属しなくとも、自分の作品を世の中に流通させることが可能になり、結果、若くして“ラップで食える”アーティストも増えた。自作の楽曲をアップできる音声共有サービス、SoundCloudも普及したことも手伝ってSNSのような気軽さで自分の楽曲をシェアする傾向が進んでいった。自分の気持ちを吐露するかのように、拙い言葉とメロディをラップとして表現していく。特にSoundCloudは、粗さはあれど、若さゆえの焦燥感や虚無感をまとったピュアな感情を発露する場として機能していき、そこからプロのアーティストとしてステップアップしていった者は多い。LEXやLANAも、最初に曲発表の場として選んだのはSoundCloudだった。 2020年になると、世界中が経験したことないほどの未曾有のパンデミックが日本を襲う。大人にとっては全てを奪われた空白の期間として語られるコロナ禍だが、そんな中、ヒップホップに出会ったキッズたちは蓄えた創造性を発揮し始めていた。すっかり大人たちがいなくなったクラブのフロアには変わらず若者が集まり、独自の進度で新たなトレンドを作り出していった。その感覚をいち早くキャッチし、日本最大級のヒップホップ・フェスとして立ち上がったのが「POP YOURS」だ。ヘッドライナーにPUNPEEとBAD HOPを携え、コロナ禍のガイドラインと何とかうまく付き合いながら敢行された。幕張メッセで開催された国内のヒップホップ・イベントとしては初めてで、その会場を埋め尽くす若いオーディエンスの熱気は並々ならぬものがあった。同年秋、国立代々木競技場 第一体育館では新たなヒップホップ・フェス「THE HOPE」が立ち上がり、オーディエンスもアーティストも、コロナ禍で蓄えたフラストレーションを発散するかの如く、熱いパフォーマンスを繰り広げた。 そして現在。国内のヒップホップをめぐる土壌は倍々ゲームのように大きくなり、ますます肥沃になっている。かつては画一的だったラップへのイメージも、だいぶ変化してきたように思う。その一方で、ラッパーが紡ぐリリックもトレンドの一部として消費されているようにも感じる。今回の短期連載では、国内のヒップホップ・カルチャーの第一線に立つ様々な立場の人物の言葉を引き出すことに注力している。今の時代だからこそ、多角的にその醍醐味を味わってもらい、それぞれが持つ原点ともいうべき魅力の根源に触れて欲しいとも思う。 ヒップホップがこんなに盛り上がるなんて──。 瞬間最高風速ばかりを競うようなトレンドではなく、多くの人を鼓舞するパワーを持つカルチャー、そして歴史としてのヒップホップが、ここ日本にも残っていくことを祈るばかりだ。 渡辺志保 音楽ライター。広島市出身。主にヒップホップ関連の文筆や歌詞対訳に携わる。これまでにケンドリック・ラマー、エイサップ・ロッキー、ニッキー・ミナージュらへのインタビュー経験もあり、年間100本ほどのインタビューを担当する。共著に『ライムスター宇多丸の「ラップ史」入門』(NHK出版)など。block.fm「INSIDE OUT」などをはじめラジオMCとしても活躍するほか、ヒップホップ関連のイベント司会やPRなどにも携わる。
文・渡辺志保 編集・高杉賢太郎(GQ)