「ショックを受けてこれはもうおしまいやなと」“伝説の斬られ役”福本清三さんの死で頓挫しかけた映画を完成させた「重鎮の一言」とは
――2作目に出演された方からも、脚本がなかったというお話が出ていましたが……。 安田 2作目の『ごはん』は、まだ親父が元気で農家をやっていた時に「もし親父に何かあったら、この田んぼ全部俺が引き継ぐんか、絶対パニックになるな」と思ったのがきっかけで、東京でOLをしていた若い女の子が大規模な米農家を継ぐ話を作りました。ひたすら田んぼで撮影するんですけど、稲はどんどん育つから脚本もない状態で農作業や稲刈りのシーンから撮りはじめて、その冬に頭からケツまで脚本を書きました。 ――当日どころか、脚本がない状態でスタートしたんですね。 安田 1回脚本ができた後も、自分の中で腑に落ちてへん部分をいじっていたら、結局毎日渡す形になって……。田んぼで毎日同じような農作業のシーン撮影だから、女優さんも何を撮っているかわからなくなってきて、しょうがないから「普通の顔で田んぼを見回るシーンと、落ち込んだ感じともう1つ3パターン撮っておいて……」みたいなことで結局4年ぐらいかかりました。でも4年もやってると珍しいことも起こるわけですよ。田んぼの稲が全部倒れる「倒伏」というのがあって、それもせっかくだから映画に入れようと思って脚本を変えて、と。 ――撮影している4年の間も形が変わり続けていたんですね。 安田 実は、公開して7年たった今もいじり続けてるんですよ(笑)。上映時の舞台挨拶で「なんで女の子が働くのに帽子もかぶらないんですか」という質問が出て、「帽子かぶっているカットを追加撮影した方がいいですね」と冗談を言ったらみんなが拍手したんで、帽子をかぶったカットを新撮しました。 ――上映後も追加してたんですか。 安田 あとは去年親父が倒れて自分が百姓するようになったら農家の大変さがやっとわかって、「主人公が田んぼを引き継ぐときの孤独感はあの表現ではちょっと弱いな」と新撮したり。主演のゆうのちゃんがすごくて、最初の撮影から10年経ってるのにゆうのちゃんの姿が全然変わってなくて、どこがいつ撮ったシーンかほとんどわからんのですよ(笑)。